JW (エホバの証人)一覧

「母なる組織」

エホバの証人は、自分たちの組織を母にたとえます。
エホバが父で、組織が母。
僕にとっては、ヘドが出そうな言葉です…。
無条件に子供を愛するのが、母の愛でしょう?
あんな冷酷で非情な組織を母だなんて、とても思えません。
僕は小さいころから、愛に飢えていました。
「自分は愛ある組織におり、両親も僕を愛してくれているはずなのに、なんでこんな気持ちになるんだろう」と、何度も思っていました。
最近になってようやく、悟りました…
僕は子供なのに、親を理解し、親を認め、親を愛することを要求されていたんです。
組織にしても同じこと。
組織が僕を受け止め、理解し、愛してくれることなんて、ありませんでした。
組織の一員として、組織を理解し、組織の一部となるよう努力することを求めつづけられてきたんです。
自分の必要は全く顧みられず、自分を消耗していく日々…。
その積み重ねが、二十歳のときに鬱になって寝込んでしまうという形で表れたんだと思います。
いまさら自己憐憫に浸るつもりはありません。
いまや僕は一社会人であり、妻を支え、養う責任を負っています。
でも、過去を冷静にみつめることは、これから前へ向かって足を進めるために必要な作業だと思います。
僕は「条件つきの愛」しか受けてこなかった。
そして、その元凶は、エホバの証人組織。
この事実は、永遠に変わりません。


地域大会一日目

行ってきました。大阪ドーム。
さんまのテレホンショッキングを見ていたかったんやけど、途中でテレビを消して、午後のプログラムだけ聞きましたw
8年ぶりの大会でしたが、そんなに違和感は感じませんでした。
人が多すぎて、人混みにまぎれられるのがいいのかも。
十数年ぶりに見かけた、地元の兄弟たちの老けっぷりに、歳月を感じました…。
プログラムは、やたら「クリスチャンとして」と言うところ(JWに「クリスチャン」を名乗ってほしくないわい!www)や、相変わらず「邪悪な世」を連呼するところに辟易しました…。
インタビューに登場した若者は相変わらず、高校卒業→正規開拓のパターン。
やはり大学教育を暗に否定する流れは感じました。
午後の最初のプログラムでは、「過去に年代に関する誤った期待があったのはなぜか」を取り上げていました。
「ずっと見張っているからだ」とかいう、とんちんかんな回答でしたが、その誤った期待のために人生を狂わされた人々についての言及はなし。
あとは…新しい歌の本の発表がありました。
来年から使うそうな。
現行の歌の本より90曲も減り、135曲になるらしいです。
相変わらず突っ込みどころ満載でしたが、自分に当てはめなければいけないというプレッシャーを感じず、客観的に話を聞けたからか、気分的には意外と楽でした。
現役じゃなくなると、こんなに気持ちが軽くなるんやと、我ながらびっくりw
なにより、愛する弟や親戚に会えたのが、嬉しかったです。
でも、霊的には励まされませんwww
これから、元JWの方々にお会いすべく、教会に行ってきます(^-^)


地域大会

今年も、地域大会のシーズンがやってまいりました。
大阪ドームは今週末らしいです・・・
exjw2.net blog by Joel
敵地偵察、行ってみようかなw



宇治 JW研究会

宇治バプテスト教会のJW研究会に行ってきました。
今回は、はるばる岐阜県から元2世の兄弟が来てくださり、経験を語ってくださいました。
彼はてんかんを患っており、会衆内でもいじめに遭っていたそうです。
母から度々ムチを受けたのに加え、父からも虐待を受けていたそうです。
そんな彼が、今は病気と闘いながら、介護や保育士の仕事をされています。
JWを辞めた今も、会衆の人間からの嫌がらせは続いているそうです…
彼の経験については、詳細を改めてアップしたいと思います。


元JW2世、マイケル・ジャクソン逝去

JWの母を持つ、マイケル・ジャクソン。
50歳の若さで亡くなりました。
哀悼の意を表します。
マイケル・ジャクソンのインタビューが、1984年8月22日号「目ざめよ!」の「若い人は尋ねる-ミュージック・ビデオはどうでしょうか」に載っています。

「僕はもう二度とやらない!」

人気のある別のビデオ「スリラー」では,出席者は初めに「猫人間」に変身し,それから踊る「モンスター」に変わります。視聴者から心霊術を奨励する映画と考えられないようにしたいという意図からでしょう,その映画は,「私の個人的な強い確信のゆえに,この映画は決してオカルトを信じていることを裏書きするものではないという点を強調しておきたいと思います。―マイケル・ジャクソン」という否認の言葉で始まります。それでも,その映画があまりにも生々しいので,一部の視聴者は最初恐怖感に襲われたことを認めました。この短い映画は何を伝えることを意図していたのでしょうか。主人公のマイケル・ジャクソンは,振り返ってみてその映画のことをどう感じているでしょうか。
「僕はもう二度とやらない!」と,ジャクソンは言います。「僕は優れた映画,面白くて短い映画にしたかっただけで,人々を脅かすようなものをわざと上映したり,何か悪いことをしたりするつもりはありませんでした。僕は正しいことをしたいと思っています。あのようなことはもう二度としません」。なぜしないのでしょうか。「あの映画のことで多くの人の気分を害したからです。それで僕としてはとても残念なのです。人々をそういう気持ちにさせたくないのです。今になって分かったのですが,あれはいいアイデアではありませんでした。僕はあのようなビデオはもう決してやりません」とジャクソンは説明しています。そして続けて,「事実,自分の自由になるフィルムは,外国での発売も含めてこれ以上の配給を停止しています。『スリラー』を宣伝材料に使いたいという申し込みが各方面からあります。しかし僕は,『だめです。もう絶対にだめです。「スリラー」のことでは僕はもう何もしたくないのです。スリラーはもうたくさん』」と言いました。
このように、マイケル・ジャクソンから直接インタビューできたのも、当時、彼がJWだったからでしょう。
その後、彼が排斥されたかどうかは定かではありません。
しかし、彼は2世として、いろんな葛藤や苦悩を抱えていたことは想像に難くありません。
彼もまた、エホバの証人の被害者のひとりと言えるでしょう。


エホバの証人と、体罰としての「懲らしめのむち」

エホバの証人の組織内で、子供に対する「むち」が指導されていたことは事実です。
これは、特定の会衆だけのローカルルールなどではありません。
組織的に指導がなされていたのです。
たとえば、1981年1月号の王国宣教2ページ。
地域大会三日目午後のシンポジウムの復習として、こんな場面が載っています。
場面3:?王国会館に遊び道具を持って行くことを許されなかった子供がかんしゃくを起こす。考慮された聖句:?申命?21:18(わがままな態度は反抗へと進み,重大な結果になりかねない)。申命?31:12(小さな子供たちでも,集会で聴いて学ぶべき)。箴?22:15;?23:13,14(罰として身体的なむちが必要な理由)。
基本的な方法は,子供と推論しつつ,悪い道を歩むことの望ましくない結果を示し,聖書の原則を用いて物事を正すこと。必要な時と場合に,懲らしめのむちが当てられる。目標は,エホバに愛され,そのみ名に誉れをもたらすクリスチャンを育てることであり,このことを思いに留めなさい。
このように、はっきりと「罰として身体的なむちが必要」と明記されています。
もっと古い資料もあります。
「昼寝するぶた」というサイトより、
なぜ2世はムチなんだ?中編
http://buta.exjw2.org/muchi_2.htm

「御国奉仕」1964年5月1日号のスキャン画像が載っています。
なぜ2世はムチなんだ?後編
http://buta.exjw2.org/muchi_3.htm

多数の出版物に、むちについて言及されているのが分かります。


ちなみに、これは私の記憶ですが・・・
私が小学生だったころ、巡回訪問の時に巡回監督が「懲らしめのムチ」を強調していたのをはっきり覚えています。
そのとき、巡回監督が引用したのは、箴言20:30でした。
「打ち傷は悪を擦り落とし,むち打ちは腹の一番奥をも[洗い落とす]。」
それ以降、子供たちにとって悪夢の日々がやって来ました・・・
当時、うちでムチとして使われていたのは、竹の細い根っこや、コンセントのコードでした。。。
こうして、体罰が強調されていた結果、子供が虐待死するという悲劇まで生じました。
「エホバの証人「せっかん死」事件を考える
http://www.jwic.info/abuse.htm
1993年11月に起こった事件について、「赤旗」に載った記事です。
この事件と前後して、体罰としての「むち」はあまり強調されなくなっていったように思われます。
しかし、この30年ほどの間に、「むち」を受けてきたエホバの証人2世はどれほどいることでしょう。
中には、思春期を過ぎてからも、18歳になってもまだ「むち」を受けた経験を持つ2世もいます。
子供の自由意志に基づく判断を尊重せず、まるで家畜のように「むち」によって盲従させるやり方は、
エホバの証人の組織の本質をよく表しています。
「各個人がクリスチャンとして健全な判断力を養う」ことよりも、「規則によって信者を縛り付け、組織の規律を守らせる」ことに主眼が置かれています。


母に電話してみました

3ヶ月ぶりに。
そしたら・・・
去年結婚した弟から、電話がかかってきました。
母が弟に「わたしからは電話できないから、用件聞いて」と言ったらしい。
親子で伝言ゲームですか・・・・・・はぁ。
とりあえず、元気でいること、転職活動中であることを伝えました。
ちなみに弟の奥さん、妊娠6ヶ月だそうです。
会えないし、声も聞けないのが寂しいし、つらいけど・・・
僕は、母のことを、そして末っ子の弟のことを、いつも気遣っています。


JW研究会@宇治→聖書研究会@京都NLC

宇治バプテスト教会で毎月開かれている「JW研究会」に、初めて参加しました。
来月、洗礼を受けることを伝えると、牧師夫人も草刈牧師もとても喜んでくださいました。
宇治から松井山手に移動。
京都ニューライフキリスト教会の聖書研究会に、久しぶりに参加しました。
今回学んだのは、エフェソス4:1-16。
「教会」について。
一致」と「統一」の違いが興味深かったです。
カルトは「統一」させようとする。強制して皆を同じようにさせる。
強制力が解かれると、抑圧されていた不満や敵意が噴出する。
ちょうど、フセイン圧政から解放されたイラクで、内線が頻発しているように・・・。
一致」は、違いはあっても互いを理解し、同じ目的を共有していること。
クリスチャンは、教派の違いはあれ、同じ神を崇め、同じ聖霊を受けている点を共有している。
JW時代・・・
1983年の地域大会の主題は「王国の一致」だったが、
JWの「一致」の実態は、「統一」だったと、今になって実感します。
統治体による画一化された聖書解釈、そして規則の数々。
そこに、「違いはあってもお互いを理解する」寛容さはありません。狭量。
表面的には同じように集い、奉仕していても、ほんとうに「同じ目的を共有している」といえるでしょうか?
自分が滅ぼされないため?自分が楽園に行きたいから?
強迫観念や利己的な動機では、喜びなど得られようはずもありません。
自己犠牲を払っても報われず、利他的であろうとしても、そもそも「神権的活動」に追い立てられ、心の余裕がありません。
燃え尽きてしまい、心を病んでゆくのも無理はないことでしょう。
では、JWはどうでしょうか?
今のイラクのように、抑圧されていた時代の反動で、憎しみや敵意で心が満たされているとすれば、それは残念なことだと思います・・・。
本来の聖書が教えている、真の神からの愛と恵みを知り、真の信仰をもって歩む喜びをぜひ経験してほしいと願ってやみません。


「良心の危機」「ものみの塔の源流を訪ねて」の在庫

今日は、梅田で書店を回ってきました。
良心の危機」は、ジュンク堂・ブックファーストのどちらにも置いてありました。
ものみの塔のアキレス腱」は、ジュンク堂に置いてありました。
ジュンク堂書店大阪本店(堂島アバンザ)
http://www.junkudo.co.jp/osaka.htm
ブックファースト梅田店(新阪急ビル)
http://www.book1st.net/shops/osa_b01.html
今日はじめて、キリスト教専門書店「オアシス梅田店」に行きました。
http://www.wlpm.or.jp/g_shop/osaka/umeda.htm
大阪駅前第二ビルの2F、北新地駅の真上という、めっちゃ便利な場所にあります。
6/1発売の「ものみの塔の源流を訪ねて」が置いてありました!
http://ameblo.jp/exjw2/entry-10259668289.html
ちなみに、B7サイズの新改訳聖書miniも新登場。
http://www.wlpm.or.jp/cgi-bin/d/kiji_item.cgi?or1=000045420&or1=000045422&or1=000045424
ただ、これでもポケット版新世界訳よりだいぶ厚いんですよね…でも小さいのは携帯に便利そうです。