JW (エホバの証人)一覧

自分で選ぶ

振り返ると、神権宣教学校に入ったのも、伝道者になったのも、バプテスマを受けたのも、自ら望んだからでした。
高校卒業する前後から、自分が何をしたいか分からなくなりました。
目の前に敷かれたレールに乗ってはいましたが、将来の自分を思い描くことができずにいました。
“奉仕の僕”になってから、当時長老だった父が巻き起こす会衆内のトラブルにますます巻き込まれていきました。
そんな父のもとからようやく脱出しましたが、既に僕の精神状態は限界でした。
「うつ」になったせいでJWの出世街道から脱落しました。
でも、本心では、「うつ」になったおかげでレールから抜け出せた解放感がありました。
それからの数年間、社会人として評価してもらえるまで、とにかくがむしゃらに働きました。
父に振り回され、組織に振り回されてきた経験から、もう宗教組織とは関わるまいと思っていました。
そんな自分が洗礼を受け、教会に通ってるのが不思議です。
母との関係を悪くしたくない思いから、JWを脱退するのをずっとためらっていましたが、
でも、今は誰からも強制されていません。
ハルマゲドンで滅ぼされる恐怖もありません。
自分の意志で選び、自分の人生を生きる。
2世にとって、とても大切なことだと思います。



僕は今、幸せです☆

Twitter にも書きましたが・・・
僕の元マイミクが僕のことを「哀れに思う」とおっしゃっているようですが、同情には及びません。
貴方も僕も、神様からどれほど慰められ、恵みに満たしていただいたことでしょう。
僕のような取るに足らない者をお救いくださった神様にただ感謝し、これからも賛美しつづけます。
そして、貴方のためにも祈ります。
僕が世界で一番悲劇の主人公かのように思ったことなどありません。
僕に与えられた試練など、小さなものです。
そして、神様は僕に、試練を乗り越える力を与えてくださいました。
今は、救われた喜びと幸せをかみしめています。

 
でも、かつては絶望の淵に立たされ、死にいざなわれたことも事実です。
そして、現に今、僕と同じようなつらい思いをしている2世が大勢います。
だから僕は元エホバの証人として、希望将来があることを、声を大にして伝え続けたい。
それが、罪深き自分を救われた主が、僕に与えられた任務だと思っています。
僕は、自分が「」エホバの証人であることに誇りを持っています。
そして、今も組織の中にいる家族や友人のために祈り続けます。
組織がなくならない限り、僕にとってエホバの証人は「過去」となり得ません。
 

それでも私は愛し続けます

昨夜ツイートしましたが・・・
11月から新しい勤務先が決まり、電話で母に報告しました。
母や弟の近況、来月の沖縄行きなど、いろいろ聞きたかったですし、私からも伝えたいことがあったのですが、
いらだった口調で、「重要なことがあったとき以外、電話してこないで!」と言われてしまいました。
やはり母にとっては、JW組織を捨てた背教者の息子は「関わらざるべき者」なんですね。
とてもやりきれない、悲しい思いになりました・・・。
でも、だからといって恨みや憎しみの感情に飲み込まれてしまってはいけないと思うんです。
それこそ「悪に悪を返す」こと。(テサロニケ第一 5:15)
主が私のうちにいてくださるのだから、私が平安を失ったり悩む理由はない。
真のクリスチャンとして、これからも「いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことについて感謝」していたいです。(テサロニケ第一 5:16-18)
私の母や弟に対する愛は、これからも変わりません。
ふたりがいつも健康でいられるよう、主がこれからも守り、導いてくださるよう、祈り続けます。


怒りを捨て去る

多くの2世は、自分の人生を自分で選ぶことを禁じられ、感情を否定され、存在さえも否定されてきました。
それでも愛する親だから・・・いや、愛なんて失ってしまっても、生きていくには親に依存せざるを得ず、自分の感情を内に秘めてきた人が多いのではないかと思います。
でも、思いは言葉にしなきゃ伝わりません。
自分がいかにつらい思いをしているか、どれほど自尊心を傷つけられ、生きる気力を失っているか、親にはっきり訴える必要があると思います。
訴えたからといって、親がすぐに変化することは難しいでしょう。
でも、あきらめずにボールを投げ続けていくことによって、親の反応も変化していくかもしれません。
なにより大切なのは、怒りや悲しみを内に秘めたままにせず、吐き出すことです。
そうすることにより、「怒りを捨て去り」、新たな人生に向かって歩みを進めていくことができます。
2世の皆さん、親と一度話をする場を設けたほうがいいと思います。
自分がどんな気持ちを抱いていて、なぜつらいのか、率直に訴えたほうがいいと思います。
なお、どうしても親が変わらない場合・・・
第三者が介入する方法もあります。


JWTC移動教室 in 名古屋

2日目だけですが、行ってきました。
名古屋在住の元JWによる証しの後、中澤先生の講義。
内容は、「ものみの塔」 ’09 11/1。
中澤先生曰く、「個別の論点にとらわれず、記事全体に内在するJWの論理をつかむことがポイント」。
裁判において、検察・弁護双方がシナリオを立て、その立証のために個別の証拠を出していくのと同じ。
この雑誌を受け取った当時、mixiのコミュにトピを立ててみたのですが、僕自身が消化不良だったため、なかなか論議がかみ合わなかった部分がありました・・・
1年近く経って改めて記事を読んでみて、「こりゃ論理の飛躍だろ」と気づく箇所が幾つもあったのが、我ながら驚きでした。
JWの出版物を読まなくなり、教会で聖書の学びを続けるうちに、JWの主張が「みことば」全体のメッセージと調和しないことに、徐々に気づいてきたってかんじです。
出版物お仕着せの答えを丸呑みするのではなく、ひとつひとつ聖句を開き、文脈を読み、そして考える。
今まで「流し読み」しかしてこなかった聖書通読ですが、これからはもっと深く「みことばを受け取る」ようにしていこうと思うようになりました。
ネットで知り合った方を何人かJWTCにご紹介していることもあり、スタッフの方に、日頃お世話になっているお礼をしてきました。
行ってきてよかったと思いました。やはり顔合わせって大事ですね。。。


不従順

従順」という言葉、嫌いです。
僕が小学生だった頃、親から頭ごなしに怒られるのがしょっちゅうでした。
自分の意志も良心も感情も黙殺され、親の良心や価値基準を押し付けられるのが耐えられなかった。
はやく大人になりたかった。はやく一人前と認められて、自分の良心を尊重してもらえることを求めていた。
だから、小6でバプテスマを受けた。
でも、状況は変わらなかった。
僕が高校生になっても、父は相変わらず頭ごなしに父の価値基準を振りかざしてきた。
怒りが限界に来ていた僕は、猛然と父に反抗した。
父は狼狽していた。でも、僕の心の叫びを理解できなかった。
成人し、奉仕の僕に任命されても、やはり父は自分のものさしを僕に押しつけてきた。
もはや、僕は疲れ果てていた。心は完全に折れていた。
そして…親元を離れ、ようやく父の束縛から自由になった時、溜まっていた膿があふれ出すかのように、僕は鬱の大波に飲み込まれていった…
僕の心は金属疲労を起こしていた。
あとに残ったのは…権威に対する嫌悪。従順に対する嫌悪。
自分を認めてもらわないと気が済まない、自分の意志に反する要求に対して過敏に反抗する、インナーチャイルド。
そのことに、ようやく気づきました。
心の傷を負ったことは仕方ないとはいえ、いつしか僕の心に深く根を張っていた「高慢」という罠に、僕は自ら捕らわれ、もがいていました。
職場でも、自分の納得できない要求に堪えられず、反発することがしばしばありました。
イエスの「わたしのくびきを負いなさい。わたしがあなたをさわやかにしてあげましょう」(マタイ11:28,29)という招きの意味を、実は理解できていませんでした。
イエスは、ありのままの僕を受け止めてくださる。
イエスが僕の心の傷をいやしてくださることを信じ、イエスに従う道を歩むとき、さわやかさを経験できる。
そのことを悟ったとき、心の重荷が、すぅーっと軽くなったように感じました。


追憶

最近、あるブロガーさんからメールをいただきまして、元々同じ会衆に交わっていたことを知りました。
いやあ、世間って、案外狭いものですね。
JWだったころの自分の記憶が、どんどん消えつつあるんですが、かすかに残っている記憶を、つらつらと並べてみようかと思います。
元々うちの家族が交わっていた会衆は、京都市最北端の会衆です。
僕の母が研究を始める直前に分会したらしいのですが、その後ももうひとつの会衆と同じ王国会館を使っていました。
府立大学よりちょっと南の、肉屋さんの上でした。
その後、上賀茂神社より北の、柊野というところに王国会館は移転します。
2つのテナントを借り、間の壁を壊す作業を兄弟たちがほこりまみれになってやっておられました・・・。
会衆の区域は、北大路通りより北。賀茂川と高野川にはさまれたエリア。
上賀茂神社周辺はもちろん、国際会館周辺や、鞍馬・貴船も伝道してました。
僕が中2のとき、家族で引っ越しました。
京都府最南端に近い町。
こちらは3つの町が区域でした。
ほどなくして分会しましたが・・・
同志社のキャンパスが区域内だったので、学生マンションが多かったですね。
20歳のとき、「必要の大きな会衆へ」移動するという名目で、実家を出てひとり暮らしを始めました。
移動した先は、元々交わっていた会衆の、分会したもう一方の会衆でした。
奉仕区域は、こんどは北大路通りより南。
下鴨神社などを含む区域でした。
ほどなくして、4会衆が共同でビルを購入し、王国会館に改装しました。
僕は鬱で寝込んでたので、ほとんど手伝った覚えはありません・・・(^^;
ちなみにその王国会館は、ラーメン「天下一品」本店のすぐ近くにありますw


レイモンド・フランズ氏 死去

元エホバの証人で、特にその中枢である「統治体」の一員であった、レイモンド・フランズ氏が、2010年6月2日に亡くなられました。
http://www.freeminds.org/

*訳*
レイモンド・ビクター・フランズは頭蓋骨損傷(頭部損傷)による重度の脳内出血によりジョージア州ウィンストンで亡くなりました。1922年にエホバの証人の家族に生まれ、1939年にレイはバプテスマを受け、巡回監督、宣教者、最終的には1971年から1980年まで統治体のメンバーの一人として奉仕しました。
将来を左右する決断と行動が求められた時、レイは1980年4月にその指導的立場から身を引きました。それは統治体の成員として行動する事がもはや彼の良心が許さなかったからです。その後彼は「良心の危機」及び「クリスチャンの自由を求めて(仮)[In search of Christian Freedom(原題)]」という2冊の本を執筆し、その中で彼は聖書の言葉と彼自身の経験をもとにしエホバの証人の教理と共にエホバの証人が抱える主要な問題点を明らかにしました。それらの本は多くのエホバの証人たちが彼らの(エホバの証人の)信条と指導的立場にある機関の決定と行動を正直に見直す為に大いに役立ちました。
エホバの証人をやめた後、レイは好奇心から生まれる質問等にも継続的に返答していきました。彼は多くの人が謙遜と学術的な知識を通じて神に仕える為のそれぞれの道を見出す事が出来る様に助けたのです。レイは一つのグループを指導する、またはその為に行動する事などに全く興味を示しませんでした。彼が唯一関心を持っていたのは、人間が作り出す行動方針からもたらされる個人の生活への介入からの自由、人への恐れからの自由、そしてクリーンな良心を持って他の人々が神を崇拝する事が出来るようになる事、それだけでした。
レイは一般的に紳士として、そして知識が豊富であり、何より聖書とイエス・キリストを愛する人として一般的に知られていました。彼は自身の行動力と聖句の力からイエスについて他の人々が知る事が出来る様に自分の人生の全てを捧げてきました。全ての人に対し正直で誠実でありたいという願いゆえの彼の愛と謙遜さと共にその勇気ある正直さは後年において彼を定義するものとなり、それは永遠の遺産として語り継がれていくでしょう。
存命中、そしてその死後も彼は大袈裟なお世辞等を嫌った事、そして彼の遺志にも沿ってレイは自身の葬式、追悼式等を執り行わない事を選択しました。1958年に結婚したレイは献身的な妻であるシンシアを残してその生涯を閉じたのです。
*訳終わり*
彼の著書である「良心の危機」と「クリスチャンの自由を求めて(In Search of Christian Freedom)」は、多くのエホバの証人を「目ざめ」させるものとなりました。
私自身、「良心の危機」を読んで、統治体が聖書に基づいてではなく、単に自分たちの伝統に従って物事を決め、信者たちを縛ってきたことを知り、衝撃を受けました。
http://ameblo.jp/exjw/entry-10307896445.html
彼が亡くなっても、彼の残したメッセージはこれからも、エホバの証人を、真のクリスチャンの自由へ導くものとなるはずです。


WatchTower Library 2009 Mobile

数年前、WILLCOM の ad [es] を買いました。
動作があまりにもっさりしていて、画面も小さすぎて、結局使わずじまいで机の中にしまい込んでました。
今年のWatchTower Library に Mobile 版 が入っていたことをふと思い出し、「そういや、Windows Mobile 持ってるんやからインストールしてみようぴかぴか(新しい)」と思い立ち、さっそく入れてみました。
こんなかんじ。
Seeker-WTL起動画面
Seeker-WTLメイン画面
これで、どこでも個人研究ができる!(するかっちゅーねん!ウッシッシwww)
ちなみに、WILLCOMは解約済みなので、電話・メール機能は使えません。