こんなサイトを見つけました。
http://slan.or.tv/texts/cptsd-faq.html
こんなの読むと、今自分がやろうとしていることが全部無意味に思えてきちゃいます・・・
難しいですね。
「努力は無駄にならない」「希望は必ずある」という意味での「自己肯定感」を持つことは、とても大切。
でも、「僕は何も悪くない」と開き直ったり、「僕にはどうしようもないんだから、周りが僕に合わせてくれなきゃ無理」みたいなのは論外。 ←案外、こういうふうに僕が思っているかのように感じられている方もおられるのかも。
日々めまぐるしく変化の激しい世界の中で、日常を生きていくだけでも、とても大変で、しんどくて、つらいことです。
まして、特殊な環境で育ち、心が未熟で、傷つきやすく、弱り切っている人にとってはなおさらです。
僕は、エホバの証人2世として「模範的」な生き方をしてきました。
自分の意志に反して親から強いられて・・・ではなく、自分の意志で、自分の信念に従って生きてきた「つもり」でした。
自分が信じてきた神。その神様からの愛は、今も変わらず信じています。
でも、自分に「さも」選択の自由が与えられていたかのように「見せかけられ」て、実は最初から選択肢はひとつしかない、他の情報が一切遮断された環境に置かれ、自分の意思や可能性や希望の多くを奪われてきたことに気づいたとき、途方もない絶望に陥ったんです。
だって、好きな高校・大学に進み、好きな研究に打ち込む道だってあったかもしれないのです。
「働く技術を習得するために」商業高校に入りましたが、そもそも高校に行く目的が違っていれば、自分の生き方は全然違ったものになったかもしれないのです。
中学や高校の先生方が何度も何度も「大学進学を考えてみないか」と勧めてくださったのに、にべもなくそれを断り、その可能性さえ考えようとしなかったこと。
自分の視野狭窄が情けなくてしょうがなかったんです。
だから、自分の視野を広げよう、もっといろんな価値観を取り入れようと必死になって生きてきました。
おかげで、JW時代には考えられなかったような、色んな人たちとの出会いという宝物をいただきました。
これからも、僕はもっと視野を広げていきたい。
このブログのタイトルのとおり、「seek」、探求しつづけていきたい。
自分の認知が歪んでいることは、ある面においては認識しているし、ある面においては拒絶してしまっているかもしれない。
でも、僕は決して諦めてはいないんです。
これからも変わり続けたい。成長し続けたい。
失ってきた多くのものを取り戻し、新しいものといっぱい出会いたい。
これが、今の僕の思いです。
これから、長い長い闘いが続きます。
どうか、気長に見守っていただければと思います。
不器用なんです。
鈍くて、頑固で、天の邪鬼なんです。
それでも、三歩進んで二歩下がり、回り道を繰り返しながら進んでいきます。
神様が、この地上で命を与えてくださっている限り、僕はもがきつづけます。
それが、僕が生かされている目的だと思ってるからです。