キリスト教一覧

村上密牧師

ジャン・ドウゲン牧師のご紹介で、アッセンブリー京都教会の村上密牧師にお会いしてきました。
http://ag-kyoto.com/
村上牧師は、多数の宗教トラブルを解決に導いておられます。
救出について相談してきましたので内容は書けませんが、とても参考になりました。
村上牧師も指摘されていましたが、エホバの証人の「審理委員会」という仕組みは、密室で
恣意的な判断が下されやすいという点で大いに問題です。
実際、長老の子供であったために「悔い改めた」と認められておとがめなしになったり、
些細な「罪」にもかかわらず排斥になった例が存在します。
しかし、審理に関する書類は完全非公開であり、当事者による証言以外、検証するすべがありません。


ジャン・ドウゲン牧師

昨日、ジャン・ドウゲン牧師にお会いしてきました。
・関西聖書学院の講師をされています。
・エホバの証人の救出は、1990年代後半が特に多かった。毎日のように現役JWから電話がかかってきたそうです。
・レイモンド・フランズと何度か電話で話をされたことがあるとのことでした。
・聖神中央教会からの救出活動に取り組んでこられました。
 http://sky.geocities.jp/sanbi_sunny/E5.htm
 最近は、おもに摂理(鄭明析を教祖とするカルト)からの救出に取り組んでおられるそうです。
エホバの証人はおおまかに、3つのタイプに分かれるように思えるとおっしゃっていました。
「依存型」「充実型」「独立型」。
「依存型」というのは、悩みを抱えていたり寂しさを感じていたりして、エホバの証人に依存しているタイプ。
「充実型」というのは、エホバの証人の活動に充実感や達成感を感じているタイプ。
たくさん研究を取り決めたりしている姉妹たちが当てはまるとのこと。保険の勧誘をやってる人が多かったり。
「独立型」というのは、エホバの証人の教えのある部分には共感しているものの、他の部分においては独自の考えを持っており、組織からは心理的な一定の距離を置いているようなタイプ。
自分でも世間の文献を調べたりして、探求している人。
上記3タイプのうち、救出しやすいのは「充実型」だとおっしゃっていました。
一見、熱心でそんなことなさそうに思えますが、組織の間違いに気づくとパッと転向される場合が多いようです。
「独立型」も自分の考えを持っていますから、一定の根拠を提示され、納得すれば離れられる。
いちばん救出しにくいのが「依存型」だとおっしゃっていました。
僕自身も、僕の身近なところにいるJWも「依存型」が多いように思えます。。。
だから、JWの影響から完全に離脱できるまでに時間がかかるんですよねぇ。
教会について、こうおっしゃっていました。
キリストは自分の持ち物を「忠実で思慮深い奴隷」にゆだねられたが、「奴隷」級は単一の教会組織であるわけがない。特定の教派がすべての人を救える器となれるわけではない。
人にはそれぞれ個性があるように、教会にもそれぞれ一長一短ある。
それは、花にもさまざまなバリエーションがあるのと似ている。
「いま、自分が通っている教会が一番だと思いなさい。もし別の場所に引っ越して別の教会に移ったときは、以前通っていた教会と比べるようなことをせず、いま通っている教会が一番だと思いなさい」と説いている、とのことでした。


日曜礼拝

どうしても土曜の夜は早く寝付けないJoelです。
Googleトラブルの経過を追いかけていたら、いつの間にか一時を過ぎてました…
でも、今朝は早く目が覚めました。7時半。
目覚まし代わりにテレビのオンタイマーをセットしているんですが、日曜の目覚めのBGMはたいてい、戦隊物の「トヤーッ!ウリャーッ!」という雄叫び(^^;)
JW2世の男の子なら、幼い頃に戦隊物で遊ばせてもらえなかった記憶があるかもしれません。
ただ、僕の場合は、親がエホバの証人になる前から、戦隊物は苦手だったんです…。
その点、他の2世よりは葛藤が少なかったのかもしれません。
さて、テレビに映る正義の味方。「相変わらず僕には興味持てないなあ」なんて思いつつ、ふとんから起き上がれない自分と格闘。
なんとか10時前には起き上がり、教会に行く用意をしました。
口語訳聖書と聖歌集も買ってきたし、準備は万端!
…と思って家を出てしばらくして、財布を忘れたことに気づきました。
もうすぐ10時半。引き返しては間に合わない。
「今日は献金できなくてごめんなさい!」と祈りながら教会へ。
さて、2ヶ月ぶりの日曜礼拝です。
賛美歌はまだまだ歌えません。プログラムの紙に来週の歌の番号が載ってたから、練習しておこう。
それから、今日は説教のあとに聖餐式がありました。
パンとぶどう酒(ジュース?)をいただきました。
エホバの証人時代はただ目の前を通り過ぎるだけだった、キリストの体と血を表す表象物にあずかったことに、なんともいえない感慨がありました。
キリストの贖いに対する感謝の念を新たにしたのは言うまでもなく、キリストにさらに近づいた気がしました。
今までは「統治体」に通せんぼされてた気分です。
説教では、ユダの手紙が扱われました。
「放縦」な生活へといざなう分派に気をつけるようにとのことでしたが…いまいちよく分かりませんでした。
エホバの証人は、同じ分派とはいえ、放縦とは対極の、禁欲的で修行僧のような生き方を信者に求めますからね…。
個人的には、せっかく「エホバの証人」の組織の呪縛から自由にされたんだから、放縦に走ることなく、主の恵みに絶えず感謝しなくてはいけないと思いました。
ちなみに、いまは電車で移動中です。
これからジャン・ドウゲン牧師にお会いしてきます。


神、聖書、そして教会

エホバの証人から離れた人の中には、無宗教のままでいる人も多くいるようです。
宗教に頼らず、自分の哲学で立派に生きている人たちがいます。
そんな彼らを僕は尊敬します。
でも、僕はエホバの証人を辞めた後も、「自分はクリスチャンだ」とずっと思ってきました。
神を信じ、聖書を神の言葉として大切にしてきました。
やはり自分の心のよりどころは、聖書と聖書が教える神でした。
教会に行くことについて、以前はとても抵抗がありました。
十字架にも抵抗がありましたし、三位一体は不可解でした。
でも、日常生活を送っている中で、なかなか聖書を開いてゆっくり黙想したり、
聖書に書かれている内容についてだれかと語り合ったりする機会がないと、
だんだん神や聖書から離れていってしまうような気がしました。
そこで、勇気を出して教会に行きました。
信仰の仲間として、聖書から語り合える時間はとても楽しかったです。
そして、また教会に来たいと思うようになりました。
まだ、定期的に教会の礼拝に出席するには至っていませんが、
機会をみつけて行こうと思っています。
ちなみに、僕が最初に行った教会はバプテスト派の教会です。
家の近所にある教会は日本ホーリネス教団に属しています。
宗派の違いについてはまだよく分かっていません・・・(^^;