雑記一覧

Twitter にハマり中 (^^;

脈絡もなく思いついたことをつぶやくスタイルが身に着いちゃって、ブログの更新がしばらく滞りそうです。(^^;
分類ごとにまとめて投稿しようとは思っているのですが・・・


母に電話

4ヶ月ぶりに母に電話をかけてみた。
留守電になったが、折り返し電話がかかってきた。
5分ほど話した。
少しでも母を安心させたかった。
母の心の内は分からない。
でも、声を聞いて少し安心した。
沖縄の祖母も元気とのこと。
ほんまによかった。


65回目の原爆忌

今年の広島原爆忌は、歴史的な日となりました。
原爆投下国である米国大使が平和記念式典に初めて参列。
国連事務総長も初参列し、核廃絶を訴えるメッセージを発しました。

 私たちは今、この神聖な場所に身を置き、自らの目で見て、感じ、吸収し、そして深く考えます。

 私は初の国連事務総長として、この平和記念式典に参加できたことを光栄に思います。そして今、深い感動に包まれています。

 広島と長崎に原爆が投下された当時、私はまだ1歳でした。私がここで何が起きたのかを十分に把握したのは、しばらく後になってからのことでした。

 私は少年時代を朝鮮戦争のさなかに過ごしました。

 炎上する故郷の村を後にして、泥道を山中へと逃れたことが、私にとって最初の記憶の一つとして残っています。

 多くの命が失われ、家族が引き裂かれ……、後には大きな悲しみが残されました。

 それ以来、私は一生を平和のために捧げてきました。

 私が今日、ここにいるのもそのためです。

 私は世界平和のため、広島に参りました。(この一文は日本語)

 私たちは65年前に命を失った人々、そして、その一生を永遠に変えられてしまったさらに多くの人々に対して哀悼と敬意の念を表するため、一堂に会しているのです。

 命は短くとも、記憶は長く残ります。

 皆さんの多くにとって、あの日はまるで、空を焼き尽くした閃光のように鮮明に、また、その後に降り注いだ黒い雨のように暗く、記憶に残り続けていると思います。

 私は皆さんに、希望のメッセージを送りたいと思います。

 より平和な世界を手にすることは可能です。

 皆さんの力は、それを実現する助けとなります。

 被爆者の皆さん、あなた方の勇気で、私たちは奮い立つことができました。

 次の世代を担う皆さん、あなた方はよりよい明日の実現に努めています。

 皆さんは力を合わせ、広島を平和の「震源地」としてきました。

 私たちはともに、グラウンド・ゼロ(爆心地)から「グローバル・ゼロ」(大量破壊兵器のない世界)を目指す旅を続けています。

 それ以外に、世界をより安全にするための分別ある道はありません。なぜなら、核兵器が存在する限り、私たちは核の影に怯えながら暮らすことになるからです。

 そして、私が核軍縮と核不拡散を最優先課題に掲げ、5項目提案を出した理由もそこにあります。

 私たちの力を合わせる時がやって来たのです。

 私たちには至るところに新しい友や同志がいます。

 最も強大な国々もリーダーシップを発揮し始めました。国連安全保障理事会でも、新たな取り組みが生まれています。また、市民社会にも新たな活力が見られます。

 ロシアと米国は新しい戦略兵器削減条約に合意しました。

 私たちはワシントンでの核セキュリティーサミットで重要な進展を遂げることができました。その成果を踏まえ、2012年には次回のサミットが韓国で開催される予定です。

 私たちはこの勢いを保たなければなりません。

 私は9月にニューヨークで軍縮会議を招集する予定です。

 そのためには、核軍縮に向けた交渉を推し進めなければなりません。

 それは、包括的核実験の禁止に向けた交渉です。

 また、兵器用核分裂性物質生産禁止条約(カットオフ条約)に向けた交渉でもあります。

 また、被爆者の証言を世界の主要言語に翻訳するなど、学校での軍縮教育も必要です。

 地位や名声に値するのは核兵器を持つ者ではなく、これを拒む者であるという基本的な真実を、私たちは教えなければならないのです。

 皆さん、

 65年前、この地には地獄の炎が降り注ぎました。

 今日、ここ平和記念公園には、一つのともしびが灯っています。

 それは平和の灯、すなわち、核兵器が一つ残らずなくなるまで消えることのない炎です。

 私たちはともに、自分たちが生きている間、そして被爆者の方々が生きている間に、その日を実現できるよう努めようではありませんか。

 そしてともに、広島の炎を消しましょう。

 その炎を希望の光へと変えようではありませんか。

 核兵器のない世界という私たちの夢を実現しましょう。私たちの子どもたちや、その後のすべての人々が自由で、安全で、平和に暮らせるために。

去年も書いたとおり、僕は被爆3世です。
http://ameblo.jp/exjw/entry-10315042573.html

被爆者が高齢化していく中で、ヒロシマ・ナガサキを後世に伝えていく責任を感じます。
被爆国日本は先頭に立って、核のない平和な世界を希求していくべきだと思います。


鍵返還

4年間住んでいた公団の部屋の鍵を返してきました。
実家を出て、ここに引っ越してきた4年前。
それからいろんなことがありました・・・
たくさんの思い出があります。
ワンルームに引っ越して、再出発です。
今日の青く晴れた空のように、新しい未来に向かって・・・


パックマン30周年

Googleのトップ画像を見て、幼いころの思い出がおぼろげに・・・
両親が、僕を連れて近所のゲーム喫茶によく行っては、パックマンをしてた(ような気がする)。
なんとなくしか覚えてへんけど・・・
あの喫茶店で食べるホットケーキがうまかった。
ロイホのホットケーキもおいしいけどね(^^)
両親がまだJWになる前の、かすかな追憶でした。。。


休職

離婚と引越のゴタゴタでふらふらになっていたのですが、この度の断絶。
妻とも母とも縁を切ることになり、さすがに精神的にこたえました。
うつが急激に悪化。
仕事に行く気力が全くなくなってしまい、休職することに。
派遣社員なので、このまま退職になります。。。


離婚

5/1提出の予定でしたが、義父母の気まぐれに振り回され、結局きょう提出しに行くそうです。
というわけで、いろいろありましたが、正式に離婚しました。


激動

今月に入ってから体調がボロボロのJoelです。こんばんは。
風邪をひいて、治ったと思ったらぶり返し・・・の繰り返し。
今朝も会社の最寄り駅まで行ったのですが、めまい・吐き気と冷や汗。
こりゃいかんと医者に行ったら、メニエルの疑いがあるとのこと。
おまけに気管支炎も併発。やっぱりまた風邪ぶり返してるし・・・
そんなわけでフラフラの僕は、母にガスストーブを持ってきてもらいました。
うちの団地、セントラルヒーティングなので11月初頭から4月初頭までは暖房が入るので、
ストーブとか持ってないんですよね・・・
まさか4月下旬になってもこんなに寒いなんて想定してへんかったし。
夕食を作ってもらい、弟と一緒に食べました。
その後、片付けをしていてくれたのですが・・・
あれこれ見つかっちゃいました。JWTCのCDが入った封筒とか、教会の週報が入った口語訳聖書とか・・・
元気なときなら、ここぞとばかりにバトルをするのですが、今日はそんな体力も気力もまったくなく・・・
黙秘して逃げましたw
いよいよ、母と対決せねばならない日が近づいているようです。
それから。
妻のブログをご覧になった方は既にご存じかもしれませんが、離婚することにしました。
既に離婚届に判を押しました。
5/1に提出予定です。
妻の荷物の大半は搬出済みで、連休明けに引っ越し屋が来て家電類を持って行くことになっています。
僕も団地を出てワンルームマンションに引っ越す予定です。
妻と離婚することになった経緯はいろいろあるのですが、今日は体調も悪いのでまた後日とさせてください。
決してけんか別れをしたわけではありません。
5年間の結婚生活でたくさんのことを学びましたし、こんな僕を愛してくれた妻に対する感謝は尽きません。
これからはお互い、新しい人生を歩み、幸せをつかめればと思っています。


33

本日、33歳になりました。
特に感慨もないのですが・・・
思えば、父がバプテスマを受けた時、33歳だったはず。
そんな父は今年、還暦。
今ごろ、どうしてるんでしょうねえ・・・
音信不通です。
この最近、身の回りで色々と変化がありまして、バタバタしております。
落ち着いたら、またオフ会したいなあ。


某オフ会…続報

訂正記事が出てましたね。
もう一方のオフ会主催者は、わざわざ電話してきてくれました。
当事者にしか分からない事情とか、いろいろあるんだなあ…というのが実感。
たしかに、考え方や価値観の相違で、すれ違ってしまうことってありますよね…
でも、時が経つうちにお互いを理解し合える、違いを受け止める「懐の広さ」を身に着けたいものだと、僕は思いました。