父と母(2)

幼いころを思い返すと、親が自分のことをなかなか理解できず悩んでいた様子を、子供ながらに感じていたように思います。
母曰く、幼いころADHDだったことも関連があるかもしれません。
母はよく「会話するときに目が合わない」と言いました。
中学に入ったころには目を見て話せるようになってましたが・・・。
父も、僕の「男らしくない」性格を理解できず、悩んでいたようです。
戦隊物とか、全く興味がありませんでした。
父と一緒に公園に行っても、ボール遊びより花を見てるほうが好きでした。
友達とけんかして泣いて家に帰ったとき、まだJWになる前の父は「やり返してこい!」と言いましたが、僕は拒否したらしいです。
親が自分と接するときに戸惑っている様子を子供ながらに感じていた僕は、親の期待に過度にこたえようとする傾向が働き、“優等生”でなければというプレッシャーにつながったように思います。
弟が生まれたことにより、さらに“兄”という肩書きが加わりました。
また、親もJWの活動に多忙な日々を送るようになったため、コミュニケーションはさらに希薄になっていき、強い孤独感を覚えるようになりました。
精神的に常に背伸びし、“小さな大人”と呼ばれてました。
やはり無理をしてたんでしょうね。
僕が大人になる過程は、“小さな大人”から“ふつうの大人”になっていく過程でした。
小さいころからさんざん「協調性がない」と言われていた僕が“ふつうの大人”になっていこうとすることは、“妥協”の連続でもあったかもしれません。
そして、うつで倒れ、JWの“出世街道”から落伍した時が、人生の転換点になりました。
それでも、JWと決別することは考えられませんでした。
僕が寝込んでいた間、母は毎日のように僕の下宿まで来てくれました。
何十kmもの道のりを、時には日に2回来てくれることさえありました。
そんな母の支えがなければ、僕は自殺していたかもしれません。
母にはいくら感謝しても足りません。
そんな母の「JWに戻ってきてほしい」という願いに、僕はこたえることはできませんでした・・・。
僕が背教者となったことで、母がどれほど心を痛めているかを思うと、とてもつらいです。
でも、自分の良心を偽ってJWにとどまることはできませんでした。
いつか母が、僕の信仰を理解してくれる日が来ることを願っています。