2010年08月一覧

父と母

「JW2世」といっても、いろんな2世がいます。
母はJWだけど、父は未信者のパターンが多いですね。
その父も、反対者の場合と理解者の場合。
一方、両親ともにJW(いわゆる「神権家族」)の場合。
いずれの場合にせよ、両親の夫婦関係や、子供に対する接し方が、2世の心に大きな影響を与えるように思います。
僕の場合、父が反対者だった時代 → 両親共にバプテスマ → 父が長老になるも、会衆内でトラブルを多発させ母が苦悩・・・というプロセスを経てきました。
6歳まで一人っ子だった僕は、母親べったりでした。
母は沖縄出身で、中学卒業と共にパスポートを持って内地へ。
全寮制の定時制高校に入り、昼間は働き、夜は仕事をしていました。
そんな母は標準語を話していたため、僕が話すのも標準語。よく友達に「おまえは関東の子か?」と言われたものですw
次男が小さいころからバリバリの関西弁を話していた影響を受けて、母や僕まで関西弁に染まっていくのですが・・・w
母から、小さいころの話をよく聞かされていたおかげで、一度も行ったことがない沖縄に対して強い愛着を抱くようになりました。
また、戦争や平和について強く意識するようになったのも、母の影響が強いような気がします。
母の兄姉が、対馬丸に乗って亡くなった話。
母方の祖父が、不発弾が暴発して亡くなった話。
母が父と口論しては母が涙するのを度々目撃してきた僕は幼いころから「母を守らなきゃ」という思いが強かったように思います。
弟が生まれてから、僕はすっかり変わりました。
母にべったりだったのが一転しました。
兄として、しっかりしなきゃという意識を強く持っていました。
母と違い、父が幼少期について話すことはめったにありませんでした。
父にとっては思い出したくないことが多かったのでしょう。
父が好きな本は「巌窟王」だと言っていました。
今にして思えば、父の生きる力となってきたのは強い復讐心だったのだろうかと思います。
たまに実家に行っても、父と祖父が口論するのが常でした。
祖父からかわいがられた記憶もありません。
祖父と父とに共通していたこと。
自分の気が済むまで、夜中になろうが延々と話を続けること。
そして、自分の考えを押しつけてくることでした。
父が母と一緒にバプテスマを受け、父からの反対がなくなったのはうれしいことでした。
でも、父の高圧的な態度は、JWになってからも変わりませんでした。
父に対する強い反発心を抱きつつも、面と向かって反抗することもできず、「自分がJWとして自立すること」に関心が向いていったような気がします。
結果的にはそれが、親に依存しない僕自身の信仰を培うことにつながっていったのかなと思います。
バリバリ仕事をこなし、会衆でも精力的に働く父。
力でも論理でもかなわないと思っていた父。
そんな父を越えたいという思いが、自分の行動に大きな影響を及ぼしていたような気がします。
両親が離婚し、父が小学校入学前の三男を見捨てて家を出たとき、父に対する怒りを抑えられませんでした。
父から電話がかかってきましたが、「地獄に落ちろ!」と吐き捨てて電話を切りました。
一年後、友人と車に乗っていたとき、たまたま父が乗った車をみかけました。
やつれた父を見て、「父もこの一年、苦悩してきたのだろうか」と思いました。
それから数年。
正社員になり、会社での評価も得、結婚。
ひとりの社会人として自立できるようになったという自信が、父に対する感情を変えていきました。
その後、父と再会しましたが、今なお被害者意識にとらわれている父を見て、哀れに思えました。
自分は過去の奴隷じゃない。
親からの影響はあるにせよ、自分の人生は、自分で選んできたもの。
これからの人生も、自分で選んでいく。
そう思えるようになったとき、自分の心に長い間巣くってきた闇が晴れていったように感じました。
今も、JWや親に対する怒りを抑えられない2世は多いと思います。
心がいやされる過程には人それぞれ違いがあり、要する時間も違うことでしょう。
しかし、いつまでも怒りの犠牲でいることを許してしまったら、トラウマから解放される道を自分で閉ざしてしまうことになると思います。
怒りを乗り越え、愛をもって怒りを征服するとき、心のいやしと真の自由への道が開けていくと思います。


「私はどんなことにも支配されはしません」

昨日の House of Praise。


コリント第一 6:12

すべてのことは私には許されたことです。
しかし、すべてが益になるわけではありません。
私にはすべてのことが許されています。
しかし、私はどんなことにも支配されはしません。

すべてのことは私には許されたことです。
人は神から「自由意志」を与えられている。
今の自分は、自分が今まで選択してきたことの結果。
物事に対してどう反応するかも、自分の選択次第。
どんな感情を表すかも、自分で選んでいる。
感情は、自分で制御不可能なものではない。
しかし、すべてが益になるわけではありません。
益をもたらすどころか害となる選択もある。
自分で選べないものもある。
国籍・性別・両親。
人は誰しも、程度の差はあれ、選べなかった環境の犠牲者である。
しかし、人は皆「神の作品」である!
存在そのものに価値がある。
たとえ自分が無価値に思えるとしても・・・

ペテロ第二2:19
人はだれかに征服されれば、その征服者の奴隷となったのです。

過去に対する怒りや恨みを抱えている限り、過去の奴隷である!
しかし、私はどんなことにも支配されはしません。
パウロのように、自分が過去の奴隷となることを断固拒否すべき!
心に深い傷を負っている人ほど、自己中心に陥りやすい。
しかし、唯一、わたしたちが奴隷となることが益となる選択がある。
ペテロ第一2:16
あなたがたは自由人として行動しなさい。
その自由を、悪の口実に用いないで、神の奴隷として用いなさい。


65回目の原爆忌

今年の広島原爆忌は、歴史的な日となりました。
原爆投下国である米国大使が平和記念式典に初めて参列。
国連事務総長も初参列し、核廃絶を訴えるメッセージを発しました。

 私たちは今、この神聖な場所に身を置き、自らの目で見て、感じ、吸収し、そして深く考えます。

 私は初の国連事務総長として、この平和記念式典に参加できたことを光栄に思います。そして今、深い感動に包まれています。

 広島と長崎に原爆が投下された当時、私はまだ1歳でした。私がここで何が起きたのかを十分に把握したのは、しばらく後になってからのことでした。

 私は少年時代を朝鮮戦争のさなかに過ごしました。

 炎上する故郷の村を後にして、泥道を山中へと逃れたことが、私にとって最初の記憶の一つとして残っています。

 多くの命が失われ、家族が引き裂かれ……、後には大きな悲しみが残されました。

 それ以来、私は一生を平和のために捧げてきました。

 私が今日、ここにいるのもそのためです。

 私は世界平和のため、広島に参りました。(この一文は日本語)

 私たちは65年前に命を失った人々、そして、その一生を永遠に変えられてしまったさらに多くの人々に対して哀悼と敬意の念を表するため、一堂に会しているのです。

 命は短くとも、記憶は長く残ります。

 皆さんの多くにとって、あの日はまるで、空を焼き尽くした閃光のように鮮明に、また、その後に降り注いだ黒い雨のように暗く、記憶に残り続けていると思います。

 私は皆さんに、希望のメッセージを送りたいと思います。

 より平和な世界を手にすることは可能です。

 皆さんの力は、それを実現する助けとなります。

 被爆者の皆さん、あなた方の勇気で、私たちは奮い立つことができました。

 次の世代を担う皆さん、あなた方はよりよい明日の実現に努めています。

 皆さんは力を合わせ、広島を平和の「震源地」としてきました。

 私たちはともに、グラウンド・ゼロ(爆心地)から「グローバル・ゼロ」(大量破壊兵器のない世界)を目指す旅を続けています。

 それ以外に、世界をより安全にするための分別ある道はありません。なぜなら、核兵器が存在する限り、私たちは核の影に怯えながら暮らすことになるからです。

 そして、私が核軍縮と核不拡散を最優先課題に掲げ、5項目提案を出した理由もそこにあります。

 私たちの力を合わせる時がやって来たのです。

 私たちには至るところに新しい友や同志がいます。

 最も強大な国々もリーダーシップを発揮し始めました。国連安全保障理事会でも、新たな取り組みが生まれています。また、市民社会にも新たな活力が見られます。

 ロシアと米国は新しい戦略兵器削減条約に合意しました。

 私たちはワシントンでの核セキュリティーサミットで重要な進展を遂げることができました。その成果を踏まえ、2012年には次回のサミットが韓国で開催される予定です。

 私たちはこの勢いを保たなければなりません。

 私は9月にニューヨークで軍縮会議を招集する予定です。

 そのためには、核軍縮に向けた交渉を推し進めなければなりません。

 それは、包括的核実験の禁止に向けた交渉です。

 また、兵器用核分裂性物質生産禁止条約(カットオフ条約)に向けた交渉でもあります。

 また、被爆者の証言を世界の主要言語に翻訳するなど、学校での軍縮教育も必要です。

 地位や名声に値するのは核兵器を持つ者ではなく、これを拒む者であるという基本的な真実を、私たちは教えなければならないのです。

 皆さん、

 65年前、この地には地獄の炎が降り注ぎました。

 今日、ここ平和記念公園には、一つのともしびが灯っています。

 それは平和の灯、すなわち、核兵器が一つ残らずなくなるまで消えることのない炎です。

 私たちはともに、自分たちが生きている間、そして被爆者の方々が生きている間に、その日を実現できるよう努めようではありませんか。

 そしてともに、広島の炎を消しましょう。

 その炎を希望の光へと変えようではありませんか。

 核兵器のない世界という私たちの夢を実現しましょう。私たちの子どもたちや、その後のすべての人々が自由で、安全で、平和に暮らせるために。

去年も書いたとおり、僕は被爆3世です。
http://ameblo.jp/exjw/entry-10315042573.html

被爆者が高齢化していく中で、ヒロシマ・ナガサキを後世に伝えていく責任を感じます。
被爆国日本は先頭に立って、核のない平和な世界を希求していくべきだと思います。