2010年07月一覧

サウル王の聖化

ひさびさに、地元の教会の聖書研究祈祷会に行ってきました。
(普段は水曜の夜に開かれているのですが、今週はたまたま木曜に振り替えになってたもので・・・)
読んだ箇所はサムエル記第一10・11章。
イスラエルの初代王としてサウルが任命され、アンモン人を撃破するという場面です。
サウルといえば、竪琴を弾くダビデに槍を投げつけ、執拗に追い回すほどの激しい嫉妬と殺意を示した「聖霊を取り去られた」後のイメージが強いのですが、サムエルによって油そそがれた当時のサウルは、とても謙遜で控えめな青年でした。
サウルに聖霊が下ると、「神はサウルの心を変えて新しくされた」(10:9)とあります。

ちなみに・・・
新世界訳だと、「神は彼の心を別の[心]に変えはじめられた」となっています。意味不明ですよねぇ。


聖化され、王としてふさわしく生まれ変わったサウルはイスラエルの軍勢を率いて、ヤベシュ・ギレアデに侵攻してきたアンモン人を撃破します。
新世界訳では読み取れなかった箇所、とても新鮮でした。


JWTC移動教室 in 名古屋

2日目だけですが、行ってきました。
名古屋在住の元JWによる証しの後、中澤先生の講義。
内容は、「ものみの塔」 ’09 11/1。
中澤先生曰く、「個別の論点にとらわれず、記事全体に内在するJWの論理をつかむことがポイント」。
裁判において、検察・弁護双方がシナリオを立て、その立証のために個別の証拠を出していくのと同じ。
この雑誌を受け取った当時、mixiのコミュにトピを立ててみたのですが、僕自身が消化不良だったため、なかなか論議がかみ合わなかった部分がありました・・・
1年近く経って改めて記事を読んでみて、「こりゃ論理の飛躍だろ」と気づく箇所が幾つもあったのが、我ながら驚きでした。
JWの出版物を読まなくなり、教会で聖書の学びを続けるうちに、JWの主張が「みことば」全体のメッセージと調和しないことに、徐々に気づいてきたってかんじです。
出版物お仕着せの答えを丸呑みするのではなく、ひとつひとつ聖句を開き、文脈を読み、そして考える。
今まで「流し読み」しかしてこなかった聖書通読ですが、これからはもっと深く「みことばを受け取る」ようにしていこうと思うようになりました。
ネットで知り合った方を何人かJWTCにご紹介していることもあり、スタッフの方に、日頃お世話になっているお礼をしてきました。
行ってきてよかったと思いました。やはり顔合わせって大事ですね。。。


不従順

従順」という言葉、嫌いです。
僕が小学生だった頃、親から頭ごなしに怒られるのがしょっちゅうでした。
自分の意志も良心も感情も黙殺され、親の良心や価値基準を押し付けられるのが耐えられなかった。
はやく大人になりたかった。はやく一人前と認められて、自分の良心を尊重してもらえることを求めていた。
だから、小6でバプテスマを受けた。
でも、状況は変わらなかった。
僕が高校生になっても、父は相変わらず頭ごなしに父の価値基準を振りかざしてきた。
怒りが限界に来ていた僕は、猛然と父に反抗した。
父は狼狽していた。でも、僕の心の叫びを理解できなかった。
成人し、奉仕の僕に任命されても、やはり父は自分のものさしを僕に押しつけてきた。
もはや、僕は疲れ果てていた。心は完全に折れていた。
そして…親元を離れ、ようやく父の束縛から自由になった時、溜まっていた膿があふれ出すかのように、僕は鬱の大波に飲み込まれていった…
僕の心は金属疲労を起こしていた。
あとに残ったのは…権威に対する嫌悪。従順に対する嫌悪。
自分を認めてもらわないと気が済まない、自分の意志に反する要求に対して過敏に反抗する、インナーチャイルド。
そのことに、ようやく気づきました。
心の傷を負ったことは仕方ないとはいえ、いつしか僕の心に深く根を張っていた「高慢」という罠に、僕は自ら捕らわれ、もがいていました。
職場でも、自分の納得できない要求に堪えられず、反発することがしばしばありました。
イエスの「わたしのくびきを負いなさい。わたしがあなたをさわやかにしてあげましょう」(マタイ11:28,29)という招きの意味を、実は理解できていませんでした。
イエスは、ありのままの僕を受け止めてくださる。
イエスが僕の心の傷をいやしてくださることを信じ、イエスに従う道を歩むとき、さわやかさを経験できる。
そのことを悟ったとき、心の重荷が、すぅーっと軽くなったように感じました。