2010年06月一覧

House of Praise 6/23

Cafe 「Proverbs 15:17」では、毎週水曜の晩、東京の「KICK BACK CAFE」で開催されている「House of Praise」をインターネット中継しています。
http://www.marre.jp/church.html
「House of Praise」でのメッセージは、今の僕がまさに必要としていたメッセージでした。
今日、僕は主の導きを確かに感じました。
扱われた聖句は2つ。
Ⅱコリ4:16-18と、ローマ5:3,4。
Ⅱコリ4:16-18
ですから、わたしたちは勇気を失いません。たといわたしたちの「外なる人」は衰えても、内なる人」は日々新たにされています
今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。

わたしたちは見えるものではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。

人はだれしも年老いていき、衰えていきます。
病にかかり、やがては死にます。
エントロピー第二の法則を、誰も止めることはできません。
しかし、肉体=「外なる人」は衰えていくとしても、「内なる人」=わたしたちの心、霊的な部分は老いません。永遠に永続するのです。
だから、わたしたちは勇気を失うことはありません

パウロの受けた患難がどれほどのものであったかは、Ⅱコリ11:23-27にあるとおりです。
わたしたちが、パウロが受けたほどの患難に遭遇することは、まずないでしょう。
しかし、それほどの患難に遭遇したパウロが、「軽い」患難と表現しています。
永遠の栄光に比べれば、患難は一時の、軽いものなのです。
ローマ5:3,4
そればかりでなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を、練られた品性が希望を生み出すということを知っているからです。
パウロのように、わたしたちも患難=試練に遭うことを喜ぶべきです。
試練に遭わなければ、忍耐を培うことはできません。
そして、忍耐が練られた品性を、練られた品性が希望を生み出します。
どんなに絶望的と思える状況でも揺るがない、確固とした希望です。
その希望があれば、人生に勝利することができるのです。
このメッセージを受けて、僕は祈らずにはいられませんでした。
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イエスよ、今日、あなたは確かに私のうちに入ってくださいました。
あなたが導いてくださったことを感謝します。
今日のメッセージは、今の僕にとってまさに必要なものでした。
Ⅱコリ4:16-18にあるように、僕は「外なる人」の衰えを痛感します。
また、パウロの遭った患難に比べるもないですが、ここ数ヶ月は僕にとって人生最大の患難の連続でした。
しかし、「測り知れない、重い永遠の栄光」に比べれば、たしかに「今の時の患難は」「軽い」です。
そして、あなたが僕のうちにいてくださるゆえに、「内なる人は日々新たにされている」のを確かに感じています。
ですから、僕はもはや「勇気を失いません」。
なんと幸いなるかな!ハレルヤ!
ローマ5:3,4にあるように、「患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す」ことを知りましたので、僕に与えていただいた患難を感謝し、喜びます。
今回経験してきた患難を通して、たしかに僕は忍耐を培わせていただくことができました。
その忍耐が、練られた品性を生み出しますように。
そして僕のうちに、確固たる希望を置いてください。
僕が希望にあふれた人間となり、希望を反映させる、希望を分かち合えるよう、僕を整えてください。
主イエス・キリストの名によって祈ります。アーメン。


Proverbs 15:17

タイトルは店の名前。そのまんま、聖句ですw
「野菜を食べて互に愛するのは、肥えた牛を食べて互に憎しむのにまさる」
京都・百万遍にあるカフェです。
http://www.proverbs1517.com/
オーナーが石井希尚牧師なんです。
これから行ってきます!
じつは先週も来まして、今日は2回目なんですけどね。


追憶

最近、あるブロガーさんからメールをいただきまして、元々同じ会衆に交わっていたことを知りました。
いやあ、世間って、案外狭いものですね。
JWだったころの自分の記憶が、どんどん消えつつあるんですが、かすかに残っている記憶を、つらつらと並べてみようかと思います。
元々うちの家族が交わっていた会衆は、京都市最北端の会衆です。
僕の母が研究を始める直前に分会したらしいのですが、その後ももうひとつの会衆と同じ王国会館を使っていました。
府立大学よりちょっと南の、肉屋さんの上でした。
その後、上賀茂神社より北の、柊野というところに王国会館は移転します。
2つのテナントを借り、間の壁を壊す作業を兄弟たちがほこりまみれになってやっておられました・・・。
会衆の区域は、北大路通りより北。賀茂川と高野川にはさまれたエリア。
上賀茂神社周辺はもちろん、国際会館周辺や、鞍馬・貴船も伝道してました。
僕が中2のとき、家族で引っ越しました。
京都府最南端に近い町。
こちらは3つの町が区域でした。
ほどなくして分会しましたが・・・
同志社のキャンパスが区域内だったので、学生マンションが多かったですね。
20歳のとき、「必要の大きな会衆へ」移動するという名目で、実家を出てひとり暮らしを始めました。
移動した先は、元々交わっていた会衆の、分会したもう一方の会衆でした。
奉仕区域は、こんどは北大路通りより南。
下鴨神社などを含む区域でした。
ほどなくして、4会衆が共同でビルを購入し、王国会館に改装しました。
僕は鬱で寝込んでたので、ほとんど手伝った覚えはありません・・・(^^;
ちなみにその王国会館は、ラーメン「天下一品」本店のすぐ近くにありますw


レイモンド・フランズ氏 死去

元エホバの証人で、特にその中枢である「統治体」の一員であった、レイモンド・フランズ氏が、2010年6月2日に亡くなられました。
http://www.freeminds.org/

*訳*
レイモンド・ビクター・フランズは頭蓋骨損傷(頭部損傷)による重度の脳内出血によりジョージア州ウィンストンで亡くなりました。1922年にエホバの証人の家族に生まれ、1939年にレイはバプテスマを受け、巡回監督、宣教者、最終的には1971年から1980年まで統治体のメンバーの一人として奉仕しました。
将来を左右する決断と行動が求められた時、レイは1980年4月にその指導的立場から身を引きました。それは統治体の成員として行動する事がもはや彼の良心が許さなかったからです。その後彼は「良心の危機」及び「クリスチャンの自由を求めて(仮)[In search of Christian Freedom(原題)]」という2冊の本を執筆し、その中で彼は聖書の言葉と彼自身の経験をもとにしエホバの証人の教理と共にエホバの証人が抱える主要な問題点を明らかにしました。それらの本は多くのエホバの証人たちが彼らの(エホバの証人の)信条と指導的立場にある機関の決定と行動を正直に見直す為に大いに役立ちました。
エホバの証人をやめた後、レイは好奇心から生まれる質問等にも継続的に返答していきました。彼は多くの人が謙遜と学術的な知識を通じて神に仕える為のそれぞれの道を見出す事が出来る様に助けたのです。レイは一つのグループを指導する、またはその為に行動する事などに全く興味を示しませんでした。彼が唯一関心を持っていたのは、人間が作り出す行動方針からもたらされる個人の生活への介入からの自由、人への恐れからの自由、そしてクリーンな良心を持って他の人々が神を崇拝する事が出来るようになる事、それだけでした。
レイは一般的に紳士として、そして知識が豊富であり、何より聖書とイエス・キリストを愛する人として一般的に知られていました。彼は自身の行動力と聖句の力からイエスについて他の人々が知る事が出来る様に自分の人生の全てを捧げてきました。全ての人に対し正直で誠実でありたいという願いゆえの彼の愛と謙遜さと共にその勇気ある正直さは後年において彼を定義するものとなり、それは永遠の遺産として語り継がれていくでしょう。
存命中、そしてその死後も彼は大袈裟なお世辞等を嫌った事、そして彼の遺志にも沿ってレイは自身の葬式、追悼式等を執り行わない事を選択しました。1958年に結婚したレイは献身的な妻であるシンシアを残してその生涯を閉じたのです。
*訳終わり*
彼の著書である「良心の危機」と「クリスチャンの自由を求めて(In Search of Christian Freedom)」は、多くのエホバの証人を「目ざめ」させるものとなりました。
私自身、「良心の危機」を読んで、統治体が聖書に基づいてではなく、単に自分たちの伝統に従って物事を決め、信者たちを縛ってきたことを知り、衝撃を受けました。
http://ameblo.jp/exjw/entry-10307896445.html
彼が亡くなっても、彼の残したメッセージはこれからも、エホバの証人を、真のクリスチャンの自由へ導くものとなるはずです。


WatchTower Library 2009 Mobile

数年前、WILLCOM の ad [es] を買いました。
動作があまりにもっさりしていて、画面も小さすぎて、結局使わずじまいで机の中にしまい込んでました。
今年のWatchTower Library に Mobile 版 が入っていたことをふと思い出し、「そういや、Windows Mobile 持ってるんやからインストールしてみようぴかぴか(新しい)」と思い立ち、さっそく入れてみました。
こんなかんじ。
Seeker-WTL起動画面
Seeker-WTLメイン画面
これで、どこでも個人研究ができる!(するかっちゅーねん!ウッシッシwww)
ちなみに、WILLCOMは解約済みなので、電話・メール機能は使えません。


僕にとっての、「エホバの証人」の2つの側面

去る5月10日、僕は大阪市緑橋会衆の長老団にメールを送り、エホバの証人から断絶する旨を伝えました。
名実共に僕はエホバの証人を脱退しました。
いま、僕は自分の思いと決意を、ここに記します。
物心ついた頃からエホバの証人であった両親に育てられ、エホバの証人の会衆に交わってきた僕にとって、「エホバの証人」とは文字通り家族・親族、そして数多くの兄弟姉妹たちです。
両親や弟、親戚。
まだ幼かった僕を我が子のようにかわいがってくださった年配の姉妹たち、
一緒に伝道やスポーツをしてきた兄弟姉妹たち、
そして僕が大会で経験を話した時や演壇に立って講演をしていたときにそれを聴いていた聴衆。
特に京都地域には、僕をよく知る兄弟姉妹がたくさんいます。
それら兄弟姉妹に対する僕の思いは尽きることがありません。今も、そしてこれからも、家族や親族を、そして兄弟姉妹たちを、僕は愛してやみません。
一方、主の導きによって目を開かれて知った、もうひとつの「エホバの証人」組織の側面。
それは、キリストが神であられることを否認し、聖霊の人格を、そして聖霊がクリスチャンひとりひとりに内在してくださることを否定する、まさに福音と神の恵みを否認する「反キリスト」。
巧妙なマインドコントロールで信者の思考を操り、「統治体」とものみの塔協会の出版物だけが唯一の神からの導きであるかのように欺き、度重なる教理の誤謬や戒律の変更を「増し加わる光」と錯覚させ、数多くの人々の人生を狂わせてきた、強大なカルト集団。
取るに足らない存在である僕を、その闇の中から救い出し、真理の光のもとへ導いてくださった主の類まれな愛と驚くべきみ業を思うとき、僕はただ黙ってじっとしているわけにはいかないのです。
パウロがコリント第一9:16で述べたとおり、「もし福音を宣べ伝えなかったなら、私はわざわい」です。僕は語るのをやめるわけにはいきません。
これからも、エホバの証人がカルトであり、神と福音を正しく理解していないことを、僕は証ししていきます。