寄稿文の補足 by Joel

先の記事、クリスチャンの方々にとっては、「なんて不信仰な文章だ」と思われるかもしれません。
しかし、これはあくまでも、親から信仰を強制された二世の言葉であることを念頭に置いていただきたいと思います。
二世たちは、信教の自由・良心の自由・思想の自由を与えられずに育てられました。
彼らにとって、まず、「神を信じるか信じないか」を選ぶ権利が与えられること、これが脱カルトの第一歩なのです。
残念ながら、多くの二世にとって、絶対主義的なJW組織・親のイメージが、そのまま神のイメージとなり、嫌悪の対象となっているのです。
彼らに、単に「神を信じよ、イエスを信じよ」と説くだけでは、彼らの心は救われません。
まず、「良きサマリア人」となってくれる友人を通して、神の愛と恵みを実感してもらうこと、そういった体験の積み重ねを通して、これまでエホバやJW組織に抱いていたのとは違うものが、真の神に、真のクリスチャンにあるということを、時間をかけて知ってもらう必要があると思います。
それから、「衣食足りて礼節を知る」と言いますが、「衣食足りて信仰を知る」とも言えると思います。
親と絶縁し、頼れる身内もなく、生活するすべも知らず、衣食住に困窮する二世にとって、信仰なんて二の次です。
まずは、この世間の大海の中で生きていくことこそが、最初かつ最大の試練なのです。
ですから、まずは彼らが一人前の社会人として生きていけるようサポートすることこそが必要とされていると思います。
まず住む場所を確保し、仕事に就き、食べていけるだけの収入が得られるようになって初めて、自分の内面を見つめ、将来について考え、信仰について思いを致すことができるようになるのではないかと思います。
実際、僕自身がそうでした。
20代前半でJWを離れた当時、「宗教組織なんてもうたくさんだ。誰とも関わりたくない」と思っていましたし、「何が真理か、何が間違いかを考える余裕もない」という状態でした。
それから10年近く経ち、社会人として自立し、多額の負債も返済し、結婚して精神的な安定が得られるようになってはじめて、改めて自分の内面を見つめ直し、将来について考えるようになりました。
そして、「自分ひとりで信仰生活を歩んでいくのは困難だ。自分の信仰を支えてもらえる教会を自分は必要としている」と考えるようになりました。

コメント

  1. ユーザー より:

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    JW流の神の存在証明は詭弁であり詐欺的です。この証明の仕方の問題を一般教会が克服し批判できなければ一般教会もJWと同罪でしょうね。JWと同じロジックで神やイエスを信じ込ませる教会にはJWを批判する資格はありません。

  2. あかり より:

    SECRET: 0
    PASS:
    二世の方達は気の毒ですね。これから頑張って長い人生を生きて行って欲しいですね。
    私は組織から離れて長いですが、今の方が組織にいた時より楽しいです。自由だから(笑)エホバの証人は自由意志が有ると言いながら自由意志なんてなかった。縛り付けられてロボットみたいだった。だから二世は離れるはずです。
    聖書は好きなので一番好きな本として愛読してます。実生活に役立ちますしね。神の言葉は本当に素晴らしいです。これからも聖書を読んで行くつもりです。

被害者集会に寄せて ある元二世からの特別寄稿

11/21(土)に開かれた、エホバの証人被害者全国集会で発表されたものを、ご本人の承諾のもと、掲載いたします。


まずはじめに、個人的な諸事情により、第15回被害者集会に出席ができません上、匿名での投稿となることをおことわりいたします。ご出席されている皆様におかれましては、ますますのご健勝をお祈り申し上げます。

 私は男で、典型的なエホバの証人(以下JWと略称致します)の二世です。都内で生まれ、現在は国内在住です。1980年代初頭の体罰全盛期を身をもって知っている世代です。現在のJWはカルト色を表面的に薄めてきている分だけ、より問題はデリケートになっていると感じています。

 二世としての子供時代は全く幸せではありませんでした。恋愛はもとより、近所や学校の同年代の友達と普通に遊ぶことも禁止されたため、人格形成のもっとも重要な時期に普通の感覚や経験を育むことが出来ず、世の中で生きていくのに必要となる対人関係のノウハウを自然に得る機会は失われました。大学進学や通常の就職を実質的に禁止する教えは、本当に大きな実害となっています。学歴も職歴もない人間にとって、社会はかなり厳しく出来ています。人より優秀で、心身共にタフな人間でない限り、中途採用の人間は一生低賃金で食いつないでいかなければならないのが普通です。

 JW二世は、楽天的な明るい性格に生まれついているか、かなりのエリート街道を歩んでいるのでない限り、無味乾燥な閉塞的な人生を強制されます。教団の外の周りの世の中はすべて悪魔のもので、もうすぐ滅ぶという教えなのですから、それも当然です。

 私は典型的な真面目二世として教義を堅く信じる一方、教えの矛盾と冷酷さに小学生で疑問を感じ、中学生で苦悩し、高校生で絶望を感じました。

 幼いときから模範的な二世としての言動を期待され、高校生になったら補助開拓、卒業直前に正規開拓者になるという、会衆内ではお決まりのパターンでした。このような二世の悲劇は、将来の夢を持つことすら禁じられるということです。持ってよいのは、べテルに入ることや特別開拓者や巡回監督になるというようなものだけでした。

 組織の中には、あちこちで神の名を借りた権力闘争やイジメが横行していました。加害者側も被害者側も、それがただの人間的なおこないであるということには気付いていません。それで、JW二世は独善的な冷たいタイプになるか、良心的な性格のままであれば人生を他人に大きく奪われ続けることになるかのどちらかです。真面目に深く物事を考えるタイプであればあるほど苦しむことになります。

 詳細な時期や経緯は省かせていただきますが、大人になって親元から独立して、しばらくしたある日、私は家族を除いたJWの人々とは完全に縁を切りました。JWの教えが完全に狂っており、人を不幸せにすると理解できたからです。

 正直、親を恨む気持ちはありますし、生まれてこなければ良かったとさえ感じることもあります。しかし、何事も運命です。甘受しなければなりません。幸福な人生を歩む人もいれば、苦しい人生を送る人もいる、それが遥かなる太古からの真実です。  

 元一世信者の方は確かにご自分で道を選んだ責任があります。

 それは確かなことです。

 しかし、1970年代~1980年代の日本の社会の雰囲気というものを考えますと、JWを真理と誤解し、入信してしまった方が多いのも無理はないと感じます。多くの思想や宗教がもてはやされた時代です。ただ、JWをはじめとするカルトは、信者が新しい信者を勧誘する仕組みになっていますから、カルト信者というのは犠牲者であると同時に加害者でもあります。ですから、我々元信者は、正確に状況を理解し、行動しなければなりません。

 なぜJWはカルトと言えるのでしょうか。

 それはJWが人々の   【人生そのものを盗む】   からです。

 今後、人材流出と寄付の減少が続くJWが、組織の延命とその狂った預言解釈を成就させるため、いかなるソフトランディングや締め付けの緩和をしようとも、次の三点がある限り、カルトである汚点は消えることがありません。

1、 この宗教組織だけが良いもので、この団体の中にいる人生だけが神に認められたもの、という教えの存在。

2、 聖書の全てが神の手による完全な書物である、と信じて疑わない教え。

ただし、そのように信じていらっしゃる人はいわゆる正統的クリスチャンの中にも大勢いらっしゃるので、そのように信じることが必ずしもカルトであるというわけではありません。しかし、その結論は論理的ではなく、純粋に情熱的なものなので、一部の人々には道を踏み外しやすい危険な道にもなる、ということをあえて申し上げます。特に預言の書といわれる部分を誤解することは危険です。それらは迫害されていた聖書時代当時の人々に向けて暗号を用いて書き検閲を回避した、激励や嘆きの書であるにもかかわらず、「現代人こそが主役である、今この時代こそ、人類の歴史という劇のフィナーレである」と考えて疑わない預言解釈は、夢想的で独善的です。

3、 教団上層部が神の名のもとに行動すること。

もちろん、あらゆる宗教は宿命的に多少なりともそのような行動に出るのですが、その度合いはなるべく小さく保たれていなければなりません。JWは統治体やブルックリンべテルというカリスマが実質的な神様になっています。

 これらの結果、大切な時間、労力、貴重な時代、多くの可能性が人々から永遠に奪い去られました。もちろん多くの金銭も無駄にされました。何のためにこの教団は人々から人生を盗むのでしょうか。

 それは一部の傲慢な人間の間違った聖書理解、狂った使命感や独善的な責任感を満足させるためです。そして、このカルト教団の指導部にぶら下がって命令を聞くだけのロボット達の不安感を消し、満足させるため、私たちの人生は奪われたのです。さらには、私には信じがたい事ですが、この宗教がカルトであることを理解した上で、利己的な理由で教団内で力を振るい続けることにした人間もいます。

 これまで、私はJW被害者集会には興味を持ったことがありませんでした。今回、投稿させていただこうと思ったのは、被害者集会の内容・趣旨に新しいコンセプトが加わり、会の活動が新しい局面を迎えることになりそうであるとのお話をお聞きしたためです。今回は第15回被害者集会であると聞いておりますが、ある意味においては新生・被害者集会第1回となることを強く願っております。

 会場に集っておられる方々の多くは脱JW後、良心的なプロテスタント系の牧師各位のご尽力により、新たな信仰へと導かれ、平安と幸福を得ていると伺っております。これはまことに素晴らしい事であると思いますし、自分自身、どちらかというとカトリック系の信仰ではありますが、皆様と同様、日々神様に祈って新しい人生を送る一人であります。しかし、我々信仰を持つ者は、信仰を大切にすると同時に、脱JW後の正しい道の一つの中に、信仰を持たないという道、つまり無神論や無宗教という選択肢もあるのだということを、真剣に、そして温かく認めなければならないとも感じております。

 従来の、正統的プロテスタント教会の教えをベースにしたJW信者の救出活動には多くの実績があると伺っておりますが、以下の三点において限界があると私個人は感じています。

1、 JWも聖書を使い、キリスト教を標榜しているので、世の中の第三者から見ると、信者の奪い合いにしか見えないこともあるようです。

2、 いわゆる正統的なキリスト教信仰は脱JW後の選択肢の一つとして示されるのが望ましいようです。なぜなら、JWへの盲目的信仰が正統派教会への熱愛に置き換わっただけでは、根本的な解決にならないこともある現状が観察されているからであります。当人の中において、依存の対象が変わっただけで、問題の構図はあまり解決されていないことがあるからです。

3、 キリスト教や聖書自体、ひいていえば宗教・信仰そのものにカルト的な要素への入り口が含まれている

 という、この三つの点のために、これまでの被害者の会の御活動は現時点では限界点に来ていると私個人は感じております。

特に、いわゆる監禁説得事件のようなやり方は、完全に間違っておられました。それは暴力的で法律に違反するというだけでなく、「自分の信仰を他人に強制的に押し付ける」という暴挙を一世の親から二世の子供に対して行わせた、JW教団と同じレベルにまで身を落とす行為であります。監禁説得を計画し実行した方々は真面目で熱心で、カルト問題に本当に心を痛めていたのであろうことは分かります。少数の方は救えたのかもしれません。しかし目的は手段を正当化しません。なによりJWというカルトのメカニズムを考慮していない暴挙であったと思います。JWにとって、そういった行為はいわゆる迫害であり、つまり、かえってカルト的な組織を大いに力づけてしまうのです。

 また、穏やかなものであっても、正統的キリスト教の教えをベースとした救出活動そのものが、限界を迎えていると私個人は思っています。時代の変化は、無神論・無宗教による実務的な取り組み、実務的な活動をも求めているのではないかと考えております。それで、今回の第15回被害者集会が、新生・被害者集会第一回になるよう願い、投稿させていただいた次第です。

 私自身は信仰がありますが、以下の三点の理由から、キリスト教牧師でない、無神論・無宗教の方が中心となって今後の対カルト活動を進めていくほうがより良い結果を生むと考えております。

 それは、

1、 世の中の第三者から見て、それが自然で妥当であるから

2、 新しい信仰によって救われるにしても、一度、当人の中で、かつて宗教に依存して自分の判断力を失ってしまった構図を解決する必要がある。この点を直視せず、そのまま別の無害な信仰によって救われたとしても、当人の中のカルトちっくな面はそのまま残ってしまう。

3、 脱JWの二世の多くは、神様という概念そのものに嫌悪感を持っている。

正直キワモノという印象のある現在の「被害者の会」が本当に公益性の高い団体になるには、責任者が特定の信仰を推奨している事はマイナスである。

 という3つの理由から、私個人は、今後の被害者の会の活動方針が大きく転換することを心より願うものであります。

 かの偉大な科学者、アインシュタイン博士は「神がいるなどというのは人間の弱さに過ぎない」とはっきり述べています。しかし私個人は神社仏閣が好きですし、教会音楽や、古い教会建築や、昔にNHKで放送されていたアメリカのドラマ「大草原の小さな家」に出てきたような良心的なプロテスタントの牧師さんには大いに魅力を感じます。それで、私は弱い人間であるというのが分かります。

 弱い人間は信仰を持つことで強くなれます。

 しかし神を信じ、信仰を持つ人間は、信仰を持たず、神の存在を信じない人を軽蔑するべきでも、憎むべきでも、恐れるべきでもありません。

 誠実な無神論・無宗教の方は信仰を持つ人間に理解があり、共存を望みます。

 私は「誠実な無神論・無宗教」という地平線があるのだということを、脱カルト後、数年してからようやく感じ取ることができました。これが最近の私個人の大きな成長だと自分では思っています。

 我々の共通の敵は、あくまで「カルト」で