2009年11月一覧

11/28(土) なんばオフ まとめ

午前10時すぎに、難波に到着。
一次会場に向かい、掃除・片付け。
11時にマイミクさんご夫妻が名古屋から来られる。
一緒に五右衛門のパスタを食べ、その後は一次会場にて歓談。
14時ごろ、ゆずぽんちゃん到着。
マイミクさんをお見送りしたあと、ゆずぽんちゃんとコンビニへ買い出し。
14時半ごろ、HIROさん到着。
つづいて、あっちゃんがはるばる山陰から到着。
そのうち、Aさん(仮称)親子、ロキュータスさん、あるふぁさん、ふゆっこさんと、順次到着。
一次会場があまりに意外な場所で、皆さん驚かれていましたが、
けっこう盛り上がりました。(^O^)
とくにAさんママ、完全に場を仕切ってるしw
さすが母強し!
17時半すぎに一次会場を撤収、二次会場の居酒屋へ移動。
ひとごみの中で、ゆずぽんちゃんは兄チェルベロさんと感動の再会
居酒屋の前で、LINさんと合流。
その後、愛弥さん、mountainさんも来られて、二次会スタート!
予定より人数が増えてしまったこともあり、部屋が狭いとか料理が少ないとか、
いろいろ問題はありましたが、それぞれ歓談いただけたかと。
20時すぎに居酒屋を退出。
風邪ぎみの愛弥さん、LINさん、そしてAさん親子と別れ、残ったメンバーで三次会@カラオケへ。
あるふぁさん、大熱唱!
あっちゃんは完全にキャラが変わっちゃってるしw
一次会とは違う面がみられて楽しかったです。
大盛り上がりしてるうちに、23時半になってしまいました。
チェルベロさんは完全に酔っちゃって、ひとりで歩けない状態。
その後どうやって自宅までたどり着いたかは、ゆずぽんちゃんのオフレポを参照w
・・・といったかんじで、大いに盛り上がったオフ会でした。
次回は春、3月の三連休あたりにやりたいなぁ、と思っております。


元JWオフ in 大阪 (11/28)

本日です!!

場所は、大阪・なんば
開催日は、 11/28(土) です!
一次会: 15時~ 府立体育館前集合
           
http://www.furitutaiikukaikan.gr.jp/map/index.html
地下鉄で来られる方へ:
御堂筋線なんば駅で降りたら、天王寺方面先頭方向に向かって歩いてください。
「南南改札」を出て、売店の右側の通路をまっすぐ突き当たりへ。
http://www.kotsu.city.osaka.jp/eigyou/shisetsu/station/eki_kounai/namba_m.html
左側のエスカレーター(5番出口)をのぼると、地上に出ます。
あとは、まっすぐ行って「難波中」交差点(角にマクドがあります)を右へ。
100mほど歩くと、左手に府立体育館が出現します。
 

二次会: 18時~ 居酒屋(予約済み)→参加者の皆様には、店の場所等を
 メールしました。
           もしも「メール届いてへん!」という方は、ご連絡くださいませ。
場所が分からなくなりそうな方へ:
御堂筋、「新歌舞伎座前」交差点を西へ。
ビックカメラななめ向かいです!

三次会: 20時過ぎ~ カラオケ

というプランで予定しています。
一次会のみ参加: 3名
二次会以降参加: 4名
一次会・二次会とも参加: 7名
10~11名、参加予定です。


インタビュー:村上春樹、 「1Q84」で描くポスト冷戦の世界 (ロイター)

村上春樹が、ロイターのインタビューにこたえています。
http://jp.reuters.com/article/entertainmentNews/idJPJAPAN-12605620091125
「地下鉄サリン事件後、村上氏は60人以上の関係者にインタビューを重ね、なぜ人々がカルト集団に入るのかを追究してきた」そうです。
その中には、エホバの証人2世も含まれているものと思われます。
 「一体どういうふうに生きればいいのか、何を価値、軸として生きていけばいいのか、当然そういう疑問が出てくるが、今、特にこれという軸がない。カルトというものはそういう人たちをどんどん引き付けてゆくことになると思う。僕らができることは、それとは違う軸を提供することである」と村上氏は言う。
過去記事:
1Q84 BOOK1
http://ameblo.jp/exjw/entry-10374920880.html
1Q84 BOOK2より
http://ameblo.jp/exjw/entry-10363495092.html


寄稿文の補足 by Joel

先の記事、クリスチャンの方々にとっては、「なんて不信仰な文章だ」と思われるかもしれません。
しかし、これはあくまでも、親から信仰を強制された二世の言葉であることを念頭に置いていただきたいと思います。
二世たちは、信教の自由・良心の自由・思想の自由を与えられずに育てられました。
彼らにとって、まず、「神を信じるか信じないか」を選ぶ権利が与えられること、これが脱カルトの第一歩なのです。
残念ながら、多くの二世にとって、絶対主義的なJW組織・親のイメージが、そのまま神のイメージとなり、嫌悪の対象となっているのです。
彼らに、単に「神を信じよ、イエスを信じよ」と説くだけでは、彼らの心は救われません。
まず、「良きサマリア人」となってくれる友人を通して、神の愛と恵みを実感してもらうこと、そういった体験の積み重ねを通して、これまでエホバやJW組織に抱いていたのとは違うものが、真の神に、真のクリスチャンにあるということを、時間をかけて知ってもらう必要があると思います。
それから、「衣食足りて礼節を知る」と言いますが、「衣食足りて信仰を知る」とも言えると思います。
親と絶縁し、頼れる身内もなく、生活するすべも知らず、衣食住に困窮する二世にとって、信仰なんて二の次です。
まずは、この世間の大海の中で生きていくことこそが、最初かつ最大の試練なのです。
ですから、まずは彼らが一人前の社会人として生きていけるようサポートすることこそが必要とされていると思います。
まず住む場所を確保し、仕事に就き、食べていけるだけの収入が得られるようになって初めて、自分の内面を見つめ、将来について考え、信仰について思いを致すことができるようになるのではないかと思います。
実際、僕自身がそうでした。
20代前半でJWを離れた当時、「宗教組織なんてもうたくさんだ。誰とも関わりたくない」と思っていましたし、「何が真理か、何が間違いかを考える余裕もない」という状態でした。
それから10年近く経ち、社会人として自立し、多額の負債も返済し、結婚して精神的な安定が得られるようになってはじめて、改めて自分の内面を見つめ直し、将来について考えるようになりました。
そして、「自分ひとりで信仰生活を歩んでいくのは困難だ。自分の信仰を支えてもらえる教会を自分は必要としている」と考えるようになりました。


被害者集会に寄せて ある元二世からの特別寄稿

11/21(土)に開かれた、エホバの証人被害者全国集会で発表されたものを、ご本人の承諾のもと、掲載いたします。


まずはじめに、個人的な諸事情により、第15回被害者集会に出席ができません上、匿名での投稿となることをおことわりいたします。ご出席されている皆様におかれましては、ますますのご健勝をお祈り申し上げます。

 

 私は男で、典型的なエホバの証人(以下JWと略称致します)の二世です。都内で生まれ、現在は国内在住です。1980年代初頭の体罰全盛期を身をもって知っている世代です。現在のJWはカルト色を表面的に薄めてきている分だけ、より問題はデリケートになっていると感じています。

 

 二世としての子供時代は全く幸せではありませんでした。恋愛はもとより、近所や学校の同年代の友達と普通に遊ぶことも禁止されたため、人格形成のもっとも重要な時期に普通の感覚や経験を育むことが出来ず、世の中で生きていくのに必要となる対人関係のノウハウを自然に得る機会は失われました。大学進学や通常の就職を実質的に禁止する教えは、本当に大きな実害となっています。学歴も職歴もない人間にとって、社会はかなり厳しく出来ています。人より優秀で、心身共にタフな人間でない限り、中途採用の人間は一生低賃金で食いつないでいかなければならないのが普通です。

 

 JW二世は、楽天的な明るい性格に生まれついているか、かなりのエリート街道を歩んでいるのでない限り、無味乾燥な閉塞的な人生を強制されます。教団の外の周りの世の中はすべて悪魔のもので、もうすぐ滅ぶという教えなのですから、それも当然です。

 私は典型的な真面目二世として教義を堅く信じる一方、教えの矛盾と冷酷さに小学生で疑問を感じ、中学生で苦悩し、高校生で絶望を感じました。

 幼いときから模範的な二世としての言動を期待され、高校生になったら補助開拓、卒業直前に正規開拓者になるという、会衆内ではお決まりのパターンでした。このような二世の悲劇は、将来の夢を持つことすら禁じられるということです。持ってよいのは、べテルに入ることや特別開拓者や巡回監督になるというようなものだけでした。

 組織の中には、あちこちで神の名を借りた権力闘争やイジメが横行していました。加害者側も被害者側も、それがただの人間的なおこないであるということには気付いていません。それで、JW二世は独善的な冷たいタイプになるか、良心的な性格のままであれば人生を他人に大きく奪われ続けることになるかのどちらかです。真面目に深く物事を考えるタイプであればあるほど苦しむことになります。

 詳細な時期や経緯は省かせていただきますが、大人になって親元から独立して、しばらくしたある日、私は家族を除いたJWの人々とは完全に縁を切りました。JWの教えが完全に狂っており、人を不幸せにすると理解できたからです。

 

 正直、親を恨む気持ちはありますし、生まれてこなければ良かったとさえ感じることもあります。しかし、何事も運命です。甘受しなければなりません。幸福な人生を歩む人もいれば、苦しい人生を送る人もいる、それが遥かなる太古からの真実です。  

 元一世信者の方は確かにご自分で道を選んだ責任があります。

 それは確かなことです。

 しかし、1970年代~1980年代の日本の社会の雰囲気というものを考えますと、JWを真理と誤解し、入信してしまった方が多いのも無理はないと感じます。多くの思想や宗教がもてはやされた時代です。ただ、JWをはじめとするカルトは、信者が新しい信者を勧誘する仕組みになっていますから、カルト信者というのは犠牲者であると同時に加害者でもあります。ですから、我々元信者は、正確に状況を理解し、行動しなければなりません。

 

 なぜJWはカルトと言えるのでしょうか。

 それはJWが人々の   【人生そのものを盗む】   からです。

 

 今後、人材流出と寄付の減少が続くJWが、組織の延命とその狂った預言解釈を成就させるため、いかなるソフトランディングや締め付けの緩和をしようとも、次の三点がある限り、カルトである汚点は消えることがありません。

 

1、 この宗教組織だけが良いもので、この団体の中にいる人生だけが神に認められたもの、という教えの存在。

2、 聖書の全てが神の手による完全な書物である、と信じて疑わない教え。

ただし、そのように信じていらっしゃる人はいわゆる正統的クリスチャンの中にも大勢いらっしゃるので、そのように信じることが必ずしもカルトであるというわけではありません。しかし、その結論は論理的ではなく、純粋に情熱的なものなので、一部の人々には道を踏み外しやすい危険な道にもなる、ということをあえて申し上げます。特に預言の書といわれる部分を誤解することは危険です。それらは迫害されていた聖書時代当時の人々に向けて暗号を用いて書き検閲を回避した、激励や嘆きの書であるにもかかわらず、「現代人こそが主役である、今この時代こそ、人類の歴史という劇のフィナーレである」と考えて疑わない預言解釈は、夢想的で独善的です。

3、 教団上層部が神の名のもとに行動すること。

もちろん、あらゆる宗教は宿命的に多少なりともそのような行動に出るのですが、その度合いはなるべく小さく保たれていなければなりません。JWは統治体やブルックリンべテルというカリスマが実質的な神様になっています。

 

 これらの結果、大切な時間、労力、貴重な時代、多くの可能性が人々から永遠に奪い去られました。もちろん多くの金銭も無駄にされました。何のためにこの教団は人々から人生を盗むのでしょうか。

 それは一部の傲慢な人間の間違った聖書理解、狂った使命感や独善的な責任感を満足させるためです。そして、このカルト教団の指導部にぶら下がって命令を聞くだけのロボット達の不安感を消し、満足させるため、私たちの人生は奪われたのです。さらには、私には信じがたい事ですが、この宗教がカルトであることを理解した上で、利己的な理由で教団内で力を振るい続けることにした人間もいます。

 

 これまで、私はJW被害者集会には興味を持ったことがありませんでした。今回、投稿させていただこうと思ったのは、被害者集会の内容・趣旨に新しいコンセプトが加わり、会の活動が新しい局面を迎えることになりそうであるとのお話をお聞きしたためです。今回は第15回被害者集会であると聞いておりますが、ある意味においては新生・被害者集会第1回となることを強く願っております。

 

 会場に集っておられる方々の多くは脱JW後、良心的なプロテスタント系の牧師各位のご尽力により、新たな信仰へと導かれ、平安と幸福を得ていると伺っております。これはまことに素晴らしい事であると思いますし、自分自身、どちらかというとカトリック系の信仰ではありますが、皆様と同様、日々神様に祈って新しい人生を送る一人であります。しかし、我々信仰を持つ者は、信仰を大切にすると同時に、脱JW後の正しい道の一つの中に、信仰を持たないという道、つまり無神論や無宗教という選択肢もあるのだということを、真剣に、そして温かく認めなければならないとも感じております。

 従来の、正統的プロテスタント教会の教えをベースにしたJW信者の救出活動には多くの実績があると伺っておりますが、以下の三点において限界があると私個人は感じています。

 

1、 JWも聖書を使い、キリスト教を標榜しているので、世の中の第三者から見ると、信者の奪い合いにしか見えないこともあるようです。

2、 いわゆる正統的なキリスト教信仰は脱JW後の選択肢の一つとして示されるのが望ましいようです。なぜなら、JWへの盲目的信仰が正統派教会への熱愛に置き換わっただけでは、根本的な解決にならないこともある現状が観察されているからであります。当人の中において、依存の対象が変わっただけで、問題の構図はあまり解決されていないことがあるからです。

3、 キリスト教や聖書自体、ひいていえば宗教・信仰そのものにカルト的な要素への入り口が含まれている

 

 という、この三つの点のために、これまでの被害者の会の御活動は現時点では限界点に来ていると私個人は感じております。

 特に、いわゆる監禁説得事件のようなやり方は、完全に間違っておられました。それは暴力的で法律に違反するというだけでなく、「自分の信仰を他人に強制的に押し付ける」という暴挙を一世の親から二世の子供に対して行わせた、JW教団と同じレベルにまで身を落とす行為であります。監禁説得を計画し実行した方々は真面目で熱心で、カルト問題に本当に心を痛めていたのであろうことは分かります。少数の方は救えたのかもしれません。しかし目的は手段を正当化しません。なによりJWというカルトのメカニズムを考慮していない暴挙であったと思います。JWにとって、そういった行為はいわゆる迫害であり、つまり、かえってカルト的な組織を大いに力づけてしまうのです。

 

 また、穏やかなものであっても、正統的キリスト教の教えをベースとした救出活動そのものが、限界を迎えていると私個人は思っています。時代の変化は、無神論・無宗教による実務的な取り組み、実務的な活動をも求めているのではないかと考えております。それで、今回の第15回被害者集会が、新生・被害者集会第一回になるよう願い、投稿させていただいた次第です。

 

 私自身は信仰がありますが、以下の三点の理由から、キリスト教牧師でない、無神論・無宗教の方が中心となって今後の対カルト活動を進めていくほうがより良い結果を生むと考えております。

 

 それは、

 

1、 世の中の第三者から見て、それが自然で妥当であるから

2、 新しい信仰によって救われるにしても、一度、当人の中で、かつて宗教に依存して自分の判断力を失ってしまった構図を解決する必要がある。この点を直視せず、そのまま別の無害な信仰によって救われたとしても、当人の中のカルトちっくな面はそのまま残ってしまう。

3、 脱JWの二世の多くは、神様という概念そのものに嫌悪感を持っている。

正直キワモノという印象のある現在の「被害者の会」が本当に公益性の高い団体になるには、責任者が特定の信仰を推奨している事はマイナスである。

 

 という3つの理由から、私個人は、今後の被害者の会の活動方針が大きく転換することを心より願うものであります。

 

 かの偉大な科学者、アインシュタイン博士は「神がいるなどというのは人間の弱さに過ぎない」とはっきり述べています。しかし私個人は神社仏閣が好きですし、教会音楽や、古い教会建築や、昔にNHKで放送されていたアメリカのドラマ「大草原の小さな家」に出てきたような良心的なプロテスタントの牧師さんには大いに魅力を感じます。それで、私は弱い人間であるというのが分かります。

 弱い人間は信仰を持つことで強くなれます。

 しかし神を信じ、信仰を持つ人間は、信仰を持たず、神の存在を信じない人を軽蔑するべきでも、憎むべきでも、恐れるべきでもありません。

 

 誠実な無神論・無宗教の方は信仰を持つ人間に理解があり、共存を望みます。

 私は「誠実な無神論・無宗教」という地平線があるのだということを、脱カルト後、数年してからようやく感じ取ることができました。これが最近の私個人の大きな成長だと自分では思っています。

 

 我々の共通の敵は、あくまで「カルト」で


第15回 エホバの証人被害者全国集会

ものみの塔=
エホバの証人
第15回 被害者全国集会

日付: 2009年11月21日(土)

場所: 八王子市民会館 3F 第5・6会議室

     (八王子市上野町32番地の1 ) 

    http://www.hachiojibunka.or.jp/shimin/top.htm

    

時間: プログラムは、 午後1:30~午後4:00

     プログラム終了後、午後5:00~午後6:30まで、夕食
     夕食後、午後6:30以降は希望する人が残っての座談会となります
これまで、エホバの証人問題へ様々な立場の方々が果敢に取り組み、多くの救済の業を成し遂げてこられました。
しかし、依然として証人問題による被害とその犠牲者は後を絶ちません。
時代の移り変わりと証人の態様も変わり、問題解決・救済方法も変化をせまられる今、求められている事は何でしょうか?
カルト問題に対し、心の癒しから法的対処まで多岐に渡るケアをなさってこられた、村上密牧師をお招きして、これからのカルト被害者救済、更にはその予防について共に考えたいと思います。
Seeker-エホバの証人被害者全国集会
過去の「被害者全国集会」については、こちらに載っています。
http://members.at.infoseek.co.jp/thinkJW/

過去の記事にも書いていましたが、
http://ameblo.jp/exjw/entry-10307972677.html
「元JWや、JW問題と関わる人たちをサポートするための組織」の立ち上げについて、この全国集会で発表する予定です。


「エホバに歌う」はイケてない! 「エホバよ、わたしたちは感謝します」編

(mixiには数日前にアップしてましたので、もう読んだ人はごめんなさい)
ご好評におこたえして(w
第二弾。
212番の歌。
1番。
旧) エホバよ われら感謝せん
     ↓
新) 感謝します 父エホバ
旧) なが光 注ぎたもう
     ↓
新) 道を照らす光を
ちょっと意味が変わってない?w
旧) 祈りもて なれに頼る この特権 感謝せん
     ↓
新) この祈りの賜物を 感謝します あなたに
「なれに頼る」が欠落。「特権」→「賜物」にかえたのはまだよかったか。
2番。
旧) エホバよ われら感謝せん み子 死に勝ちたまえり
     ↓
新) 感謝します 父エホバ み子イエスの犠牲を
「イエスの犠牲に感謝する」のは間違ってはいない。
でも、イエスは死に勝利した!という感動は失われた。
旧) われに誓い果たさしむ 導きに感謝せん
     ↓
新) 誓い 果たす 導きを 感謝します 日ごとに
べつに「感謝せん」でええやん、って気になってくる・・・w
3番・・・消失。涙
旧) エホバよ われら感謝せん まことの友 賜えり
   忠実保つを助く なが霊に 感謝せん
4番→3番に。
旧) 感謝せん み名と真理 告ぐるは わが誉れよ
     ↓
新) 感謝します 父エホバ み名 伝える 誉れを
「真理」が消えた!w
旧) 悪は去り なれの恵み とわならん 感謝せん
     ↓
新) 永久(とわ)に続く王国を 感謝します エホバよ
あくまでも「王国」を強調したい。
「恵み」という言葉を使いたくない、という意思がひしひしと感じられますw
というわけで、こちらもグダグダになっちゃいました・・・


新しい歌の本はイケてへん!「クリスチャンの献身」編

あえて関西弁のタイトルにしてみましたw
新しい歌の本、「エホバに歌う」。
4番まであった歌詞が3番まで、3番まであった歌詞が2番までというように、中身を削ってる。
そして、従来の文語体をムリヤリ口語体に変えたもんだから、さらに内容が欠落。
その一例をば。
バプテスマといえばこの曲、「クリスチャンの献身」。
従来は13番でしたが、新しい本では7番。
1番。
旧) エホバは宇宙を造りし方
     ↓
新) エホバは宇宙を造り出した
おいおい、敬称がなくなってもうたやんw
旧) 天地み手の業 神のものよ
     ↓
新) 天も地も すべて エホバのもの
「み手の業」が欠落。「エホバ」を強調。
旧) 命の源 人に示す 崇拝 神にのみ捧ぐるべきを
     ↓
新) 賛美と崇拝 受けるべきは 命の源 エホバ神のみ
ここでも「エホバ」を強調。
2番。
旧) イエス 川に来る 義をなすため み旨果たさんと 身を差し出す
     ↓
新) イエス ヨルダンで 身を差し出す エホバのご意志を 行なうため
「義をなす」が欠落。
またまた「エホバの」ご意志を強調。
旧) 水より上がれり 霊注がれ 忠節に仕えり 聖別されて
     ↓
新) 聖霊 注がれ 神に仕え 忠節を尽くして 献身 果たす
イエスの神格性をよほど否定したいのかw
3番。
旧) み前に来たれり み名誉めんと
     ↓
新) 今 わたしたちは み前に立つ
「わたしたち」w
「われら」でええやん。2音無駄。
「み名誉めんと」が欠落。
旧) 我ら己捨て 命捧ぐ
     ↓
新) 自分の命を ささげるため
「己捨て」が欠落。
旧) 尊きみ子もて 買われたれば
     ↓
新) 贖い 感謝し 固く誓う
うーん。
「贖い 感謝し」が薄っぺらく聞こえる。
「み子の尊い命をもって買い戻された」概念が欠落。
旧) 死ぬるも生くるも なれのためなり
     ↓
新) 生きるのも死ぬのも あなたのためと
意味は一緒なんだけど、語感が違う。
むりやり現代語にするから、なんかぐだぐだになってしまうってかんじ?


エホバの証人の輸血拒否に対する、各界の対応

【医学界の対応】

15歳未満 親拒否でも輸血 5学会決定

(読売新聞 2008年2月29日)
 宗教上の理由で輸血を拒否する「エホバの証人」の未成年信者への対応について、日本輸血・細胞治療学会など関連5学会の合同委員会(座長・大戸斉福島県立医大教授)は28日、15歳未満の患者に対しては、本人や親が拒否しても生命の危険があれば輸血を行うとする指針を正式に発表した。
 患者が信仰や親の意思に反して輸血を受けたことで苦しむ恐れがあるとして、退院後も児童心理の専門家らによるカウンセリングを行うよう医療機関に求めている。
 指針によると、15歳未満は輸血するものの、18歳以上では患者本人が、15歳以上18歳未満では患者と親の双方が輸血を拒んだ場合は輸血しないとした。最高裁の判例に基づき、宗教上の輸血拒否を患者の自己決定権として尊重した。
 ただ、18~19歳の患者でも、医療について適切な判断ができないと複数の医師が評価した場合には、輸血すると定めた。
http://www.yuketsu.gr.jp/information/2008/080229kaiken.pdf

宗教的輸血拒否に関するガイドラインとフローチャート
http://www.anesth.or.jp/news/000858.html

【行政・司法の対応】

行政 = 児童相談所
司法 = 家庭裁判所

即日審判で父母の親権停止 家裁、息子への治療拒否で

http://www.47news.jp/CN/200903/CN2009031401000512.html

 東日本で2008年夏、消化管内の大量出血で重体となった1歳男児への輸血を拒んだ両親について、親権を一時的に停止するよう求めた児童相談所(児相)の保全処分請求を家庭裁判所がわずか半日で認め、男児が救命されていたことが14日、分かった。

 子供の治療には通常、親の同意が必要で、主治医は緊急輸血が必要だと両親を再三説得したが「宗教上の理由」として拒否された。病院から通報を受けた児相は、児童虐待の一種である「医療ネグレクト」と判断した。


このように、医療・行政・司法が連携して対応する仕組みができあがっています。
もはや、「大くん事件」の再発はないことでしょう。
大くん事件・・・1985年(昭和60年)6月6日、神奈川県川崎市の久地駅前の路上で、当時10歳だった鈴木大君がダンプに轢かれて両足を骨折。聖マリアンナ医大病院に運ばれた大君は、意識はあったものの失血によるショック症状を呈し始めている状態で、「両下肢開放性骨折・入院60日」という診断を受け手術が行なわれようとしたが、事故を聞いて駆けつけた両親が手術に必要な輸血を拒否。熱心なエホバの証人である両親の承諾を得られぬまま大君は5時間後に失血死。


元JWとの絶縁 (2011年7月19日加筆修正)

最近、いろいろとありました。


この1ヶ月ほどの間に、有名ブロガーさんおふたりから、アメンバーを切られました。
おふたりとも、お会いしたこともあるし、電話でお話したこともある方です。



おひとりの方は、その方のブログで、ある現役JWを批判されていたのに
反論したところ、突然アメンバーを切られました。

もうひとりの方は、その方と直接ではなく、その方のご主人が突然、私に対して誹謗メールを送ってこられ、
それに対する弁明を求めたところ言い合いになってしまい、
結果として奥様からもアメンバーを切られました。
メールをお送りしましたが、無視されたままです。


(2011年7月19日更新)
上記の記事を書いてから、1年半経ちました。
当時、結婚生活が破綻し、精神的にも大変不安定で、教会にもなじめず、孤独感にさいなまれていた私にとって、元JWから救われたおふたりは、とても貴重な友でした。
いくら私がどん底の状態にあったとはいえ、おふたりには多大の精神的負担をかけたことと思います。
このブログをご覧になるかどうか分かりませんが、これまでおふたりが示してくださったクリスチャン愛に今も感謝していることをお伝えすると共に、不快な気持ちにさせてしまったことについてはお詫びしたいと思います。
主イエスの十字架によって罪赦された仲間として、私の過ちをお許しいただければと思います。
そして、共に救われ、主のみもとに導かれた喜びを、これからも共有したいと思っています。