1Q84 BOOK1 読了

図書館で借りた、「1Q84 BOOK1」を読み終わりました。

改めて感じたのは、「証人会」、つまり「エホバの証人」について具体的かつ詳細に記述されていることです。

これは単なる空想小説というより、「エホバの証人」のカルト性への警鐘という意味も込められているのではないか、とさえ僕には思えます。

(注意! まだ1Q84をお読みになっていない方へ。 以後、ネタバレだらけですw)

中澤啓介牧師の読後評にも載っていますが、
http://jwtc.info/modules/newsletter/index.php?content_id=18

例えば、ものみの塔の聖書解釈と終末論については次のように解説している。
「その女の子の両親は『証人会』という宗教団体の信者だった。キリスト教の分派で、終末論を説き、布教活動を熱心におこない、聖書に書いてあることを字義通りに実行する。たとえば輸血はいっさい認めない。だからもし交通事故で重傷を負ったりしたら、生き延びる可能性はぐっと狭まる。大きな手術を受けるのもまず無理だ。そのかわり世に終末が訪れたときには、神の選民として生き残ることができる。そして至福の世界を千年間にわたって生きることができる。」(一巻、270頁)
あるいは、エホバの証人の子供たちが学校でどのような問題に直面するかをも見事に描いている。
「彼女が『証人会』信者であることはクラスの全員が知っていた。彼女は『教義上の理由』からクリスマスの行事にも参加しなかったし、神社や仏教の寺院を訪れるような遠足や修学旅行にも参加しなかった。運動会にも参加しなかったし、校歌や国歌も歌わなかった。そのような極端としか思えない行動は、クラスの中でますます孤立させていった。」(一巻、272頁)
・・・これらは、僕自身も経験したことです。

輸血拒否というこの団体の最大の問題については、老婦人の口を通してこう語らせる。
「私の正直な意見を述べれば、『証人会』はまともな宗教とは言えません。もしあなたが小さな子供の頃に大きな怪我をしたり、手術を要する病気にかかったりしていたら、そのまま命を落としていたかもしれません。聖書に字義的に反しているからといって、生命維持に必要な手術まで否定するような宗教は、カルト以外の何ものでもありません。それは一線を越えたドグマの乱用です。」(一巻、434-5頁)
さらに著者は、この輸血拒否の教えに対してエホバの証人の子供たちが置かれている位置について、次のような解説を続ける。
「青豆は肯いた。輸血拒否の論理は、『証人会』の子供たちがまず最初に頭にたたき込まれることだ。神の教えに背いた輸血をして地獄に堕ちるよりは、清浄な身体と魂のまま死んで、楽園に行った方が遥かに幸福なのだ。子供たちはそう教えられる。そこには妥協の余地はない。・・・子供たちには批判能力が具わっていない。そのような論理が社会通念的にあるいは科学的に正しいかどうか、知りようもない。子供たちは親から教わったことを、そのまま信じ込むしかない。・・・」(一巻、435頁)
輸血だけではない。ものみの塔が異教的な祭りを拒否していることについても、次のようにふれる。
「聖書の教えにどこまでも忠実な『証人会』の熱心な信者である両親は、あらゆる世俗の祭りを軽蔑し、忌避した。」(二巻、432頁)

さらに小説は、幼いときにものみの塔の信仰を強要される悲劇を明らかにする。
青豆が伝道のために母親に連れられて歩く姿は(一巻、271頁)、もしエホバの証人が読むなら、この描写はそのまま自分の追体験になるはずである。それは、「どれほど深く子供の心を傷つけるものか」(一巻、273頁)と叫ばざるを得ない経験なのである。
青豆が傷として残っている「いじめの(正確には、いじめられた)経験」を、小説は次のように描く。
「そのときに一人の男子が『証人会』の布教活動をしていることで彼女を揶揄した。家から家をまわり、馬鹿げたパンフレットを渡して回っていることで。そして彼女のことを『お方さま』と呼んだ。それはどちらかといえば珍しい出来事だった。というのは、みんなは彼女をいじめたり、からかったりするよりは、むしろ存在しないもの(原文は傍点)として扱い、頭から無視していたからだ。」(一巻、274頁)

「もし両親が『証人会』の信者でなかったとしたら、彼女はごく当たり前の女の子として育ち、みんなに受けいれられていたことだろう。きっと仲の良い友だちもできていたはずだ。でも両親が『証人会』の信者であるというだけで、学校ではまるで透明人間のような扱いを受けている。誰も彼女に話しかけようとしない。彼女を見ようとさえしない。」(一巻、275頁)
エホバの証人の子供たちは、組織(そして親)から「世の友になってはいけない」と教えられ、クラスでは孤立する立場を選ばざるを得ない。それがいじめに発展する。そのときに起こる内面的葛藤は、おそらく経験者でない限り分からない。だが、この小説に知るされている村上の描写は、まるで、二世たちのプログを読んでいるような錯覚に陥らせる。

しかも、この記述は、12章の天吾を扱った記録の中に置かれ、その前後の11章や13章における青豆の行動をもたらす遠因になっているかのような書き振りである。その両章では、青豆とその仲間のあゆみが、度を越えた放縦なセックスをもてあそんでいる。あゆみには、そういう行動に出ざるを得ないような不幸な(レイプの)経験が少女時代にあった。青豆にも、同じではないが、少女時代にいじめの経験があった。それは精神的なレイプと同じなのだ、著者はそう言いたかったように見える。

青豆は、10歳のときに信仰を捨てたにもかかわらず、幼いときから植え付けられたものみの塔の呪縛に縛られ続けている。それは彼女が、とんでもないところで「王国の到来について思いを巡らせ」たり(一巻、236頁)、場違いなところで王国について話たり(例えば一巻、345、353頁)、祈りの言葉を発してしまうことことの中に見られる(二巻、151、156頁)。
「そのあとで、目を閉じて、いつものようにお祈りの文句を唱えた。その文句自体には何の意味もない。意味なんてどうでもいい。お祈りを唱えるということが大事なのだ。」(一巻、66頁)
「躊躇なく、冷静に的確に、王国をその男の頭上に到来させた。彼女はそのあとでお祈りさえ唱えた。祈りの文句は彼女の口からほとんど反射的に出てきた。」(一巻、302頁)
三つ子の魂百まで、とはよく言ったものである。青豆は、幼い頃の宗教的な刷り込みが大人になっても消えないことを、カルト教団の教祖深田との会話の中で確認している。
「あなたは子供の頃、『証人会』の信者だったと聞いている」
私が選んで信者になったわけではありません。信者になるよう育てられただけです。そこには大きな違いがあります
「たしかにそこには大きな違いがある「と男は言った。「だが幼い頃に植え付けられたイメージから、人は決して離れることはできない
「よくも悪くも」と青豆は言った。(二巻、193頁)

青豆は、幼いときに受けた宗教的トラウマから、「家庭内暴力をふるう卑劣な男たちや、偏狭な精神を持った宗教的原理主義者たち」を嫌悪する(一巻、204頁)。彼女が受けたトラウマは、物理的な暴力というより、彼女の精神を呪縛してしまう有言・無言の周囲の圧力だった。
「だから彼女は両親を憎み、両親が属している世界とその思想を深く憎んだ。彼女が求めているのはほかのみんなと同じ普通の生活だった。・・・一刻も早く大人になって両親から離れ、一人で自分の好きなように暮らしたかった。」(一巻、328頁)
「もちろん『証人会』の内部で実際にレイプに巻き込まれるようなことはなかった。少なくとも彼女の身には、性的な種類の脅威は及ばなかった。まわりにいた『兄弟・姉妹』は、みんな穏やかで誠実な人々だった。しかし正しい動機がいつも正しい結果をもたらすとは限らない。そしてレイプというのは、肉体だけがその標的となるわけではない。暴力がいつも目に見えるかたちをとるとは限らないし、傷口が常に血を流すとは限らないのだ。」(一巻、433頁)

「自由意志に基づいて」と言いながら、「・・・するはずです」とか「・・・と考えるはずです」といった記述が、ものみの塔の出版物には度々みられます。まさに詭弁です。

自分の意志で選択しているかのような錯覚を与えながら、考え方や行動の仕方が細かく縛られているのです。

そして最後に、この小説が、ものみの塔は家族関係を破壊してしまうカルトだと述べていることに注目しておこう。カルト教団の教祖を殺害するため青豆を雇った老婦人は、青豆がカルトがらみの傷を負っていることを指摘する。
「あなた自身が少女時代に、カルトがらみの心の傷を負っていることは承知しています。あなたのご両親は熱心な『証人会』の信者だったし、今でもそうです。そしてあなたが信仰を捨てたことを決して赦そうとはしない。そのことが今でもあなたを苦しめている。」(一巻、434頁)
青豆は、自分の家族について振り返ってこう言う。
「青豆には四歳年上の兄がいた。おとなしい兄だった。彼女が決意して家を出たとき、彼は両親の言いつけに従い、信仰をまもって生活していた。今どうしているのだろう。しかし青豆は家族の消息をとくに知りたいとも思わなかった。彼らは青豆にとって、もう終わってしまった人生の部分だった。絆は断ち切られてしまったのだ。十歳より前に起こったことを残らず忘れてしまおうと、彼女は長いあいだ努力を続けてきた。私の人生は実際には十歳から開始したのだ。それより前のことはすべて惨めな夢のようなものに過ぎない。そんな記憶はどこかに捨て去ってしまおう。しかしどれだけ努力をしても、ことあるごとに彼女の心はその惨めな夢の世界に引き戻された。自分が手にしているもののほとんどは、その暗い土壌に根を下ろし、そこから養分を得ているみたいに思えた。どれほど遠いところに行こうと試みても、結局はここに戻ってこなくてはならないのだ、と青豆は思った。」(一巻、485頁)

「十歳の時、私が信仰を捨てると宣言してからは、母親はいっさい口をきいてくれなくなった。必要なことがあれば、メモに書いて渡した。でも口はきかなかった。私はもう彼女の娘ではなくなった。ただの『信仰を捨てたもの』に過ぎなかった。それから私は家を出た。」(一巻、524頁)
「ご存知だとは思いますが、私はわけがあって両親を捨てた人間です。わけがあって、子供の頃に両親に見捨てられた人間です。肉親の情みたいなものとは無縁な道を歩むことを余儀なくされました。・・・」(二巻、24頁)
カルトは、家族の絆より、組織の絆を優先させる。だから、エホバの証人の世界では、脱会した人とは、例え家族であっても口をきくことを許さない。この小説は、青豆の歩んだ道をたどりながら、ものみの塔信仰が家族を引き裂いてしまう様子を実にリアルに描いている。

僕自身、同じ経験をしました・・・。

家族の絆より組織の絆が優先される事態に直面したときの絶望感は、計り知れません・・・。

小説『1Q84』は、ものみの塔・エホバの証人の問題を他にもいろいろな方面から取り上げている。
この小説をひとつのきっかけとして、エホバの証人のカルト性に、ひとりでも多くの人が気づいてくれることを願います。

コメント

  1. 迷える羊 より:

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    こんばんは、初めて訪問いたしました。
    あなたはプロテスタントの洗礼を受けられたんですね。
    私は組織から離れてかなり経ちますが、今も教理は信じています。ただ、教理以外の点でついて行けないと感じ、自然と離れてたわけです。
    今も信じてはいます。
    今日は遅くなってしまいましたのでこれで失礼します。又、訪問させてください。

  2. io より:

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    まだ読んでませんが、ネタバレ部分もしっかり読んでしまいました^^)v
    やはり、カルト性を気付かせるには充分な内容、なのですね。。。

  3. moe より:

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    同じく2世です。母が信者です。
    兄弟4人とも順に10代で離れました。
    それぞれ結婚したり、いわゆる「世」で生活しています。
    兄と姉がこの本を見たそうです。
    私も見ようかどうしようか・・トラウマが蘇ってきそうで、悩んでいます。
    もう10代までの思い出は、捨てたはずなのに・・
    拭いきれない記憶と習慣が残っています。

  4. 二世 より:

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    私も二世です。今ははなれていて、「世」で生活しています。が、あなたの意見や、1Q84を読んで不快です。私は、幼い頃、学校ではみった事は、ありません。できないことはできないと、はっきり言っていましたが、そんな事にはなりません。はみった事を宗教のせいにしているようですが、それはあなたの性格で、そうなったんじゃないんでしょうか。
    それと村上春樹は、半解一致で小説を書くのやめろよ!おまえ何もしらねーじゃん。
    私達のように二世が書くんなら、理解できるが、あいつ二世じゃねーだろ。話はおもろかったけど、不快だった。
    あと、基本、あいつの作品ワンパターンだな。人がいっぱい死んで、あとセックスの話。やたらすきだな。キメーわ。