学び(第一回)

僕の固い頭は、まだまだJWの教理でガチガチに固まってます。
なので、日曜礼拝の説教を聞いても、なかなかストンと心の中に入ってこないというか、ついJWの講演と比較しちゃったりするんですね。
(自分がなまじ公開講演とかしていたばっかりに、余計ですわ…)
そこで、ウィリアム・ウッド先生の「エホバの証人への伝道とフォローアップ」を用いて、個人的聖書研究会をしていただこうと思いました。
宇治バプテスト教会の牧師夫人にお願いしたところ、快諾いただけました。

今日は第一回、「神とはどんなお方か」を学びました。
【学んだ内容】
まず、使徒17:16-31を読みました。
パウロがアレオパゴスで証言した、有名な場面です。
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アテネの人々にとっての「神」は、手でこしらえたものでした。宮という一定の場所に住み、不自由であるため、人の手によって仕えられる必要がありました。人間の技術や工夫によって造られた像のようなものでした。
ちなみにエホバの証人の信じる神は、「偏在性のない」神です。
しかし聖書の神は、時間と空間を超えて、全宇宙にあまねく存在される神です。
エレミヤ23:23,24
「わたしは近くでは神であって、遠くでは神ではないのか」と、エホバはお告げになる。
「あるいは、人は隠れ場所に身を隠して、わたしがこれを見ないようにすることができるのか」と、エホバはお告げになる。
「わたしは天と地に実際に満ちているのではないか」と、エホバはお告げになる。
列王記第一8:27
「それにしても、神は本当に地の上に住まわれるでしょうか。ご覧ください、天も、いや、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの家など、なおさらのことです!」
(上の2つの聖句はいずれも新世界訳です)
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アテネの人々は、神の存在に対する確信がなく、むしろ心の中で宗教的な不安を覚えていました。
そのことは、「知られない神に」と刻まれた祭壇によって証明されています。
多くの人々は、目に見えない神に対して確信がないために、目に見えるものを造ります。それによって、自分は神のために奉仕しているのだからきっと神に認められるはずだ、と心を慰めようとします。人に仕えてもらわなければならないほどに、あるいは人間に理解できるほどに、神を小さな存在とし、その必要を満たしてあげていることを有利な交渉条件として、神に御利益を要求します。
エホバの証人の教理にも、似たようなものがあります。彼らは目に見える組織を強調し、その組織が神にとって不可欠な存在であるかのように教えます。神は、組織を抜きにしては何もできないといいます。また、組織に仕える者は神のご意志を行っているので、必ず地上の楽園に入れてもらえるはずだと主張します。結局JWは、神との個人的な関係を培うよりも目に見える組織に頼ってしまっているわけで、アテネの人々に負けないくらいの偶像崇拝者といえます(^^;
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使徒17:27,28にあるとおり、神は、愛の交わりのために人間を造られました。
 これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。
 確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。
 私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。あなたがたのある詩人たちも、『私たちもまたその子孫である』と言ったとおりです。
神のご計画は、人間がご自分と共に歩み、その親密な交わりの中で幸せになり、力を得、神の栄光を現す者となることでした。
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神の愛を知らない者は、本当の意味で自分を愛することも他人を愛することもできません。人生の中で、真の幸福を見いだすこともあり得ません。
それに対して、神の愛を体験している者は、心が平安になります。神が共におられることを確信して、大胆に勝利ある人生を歩むことができます。また、自分をありのままで受け入れるように、人を受け入れることができます。
エホバの証人は、とかく神の愛を条件付きのものとしてとらえることが多いです。つまり、自分が神の愛にふさわしい者にならなければならないと考えます。
しかし、聖書は、神の愛が罪人に注がれることを明示しています。
ローマ5:5-8
この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
私たちがまだ弱かったとき、キリストは定めらた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。
正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。
しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます
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神が私たちのために計画してくださっている人生とは、神と共に歩む人生祝福に満ち、喜びにあふれる人生です。
エレミヤ19:11-13
わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。 ―主の御告げ― それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう
もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。
【感想】
「神に受け入れられる人間になろうと努力する必要はない。
ありのままで神の胸に飛び込んでいけばよいのである。
そうして神の愛に触れた結果、愛の人に生まれ変わることができる。
自分をありのままで受け入れるように、人を受け入れることができる」
という箇所に感動しました。
今まで、自分は神に受け入れていただけないのではないか…という不安にさいなまれていましたが、自由にされました。