「カルトとしての創価学会」

カルトとしての創価学会=池田大作/古川 利明
¥1,575
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この本は、同じ作者による三部作の三冊めにあたります。
前著「システムとしての創価学会=公明党」、および「シンジケートとしての創価学会=公明党」を先に読んでおいたほうがよさそうでした・・・
本のタイトルに直接関連する部分は、第5章「カルトとしての創価学会」になります。
(p.250-251より)
【通常のグループとカルトとの違い】
 通常のグループでは、あくまでその活動は生活の一部分でしかなく、社会に向かって開かれている
また、活動の目的がはっきりと提示され、それに伴うリスクも説明される。
内部批判や分派が許される。
脱退の自由がある。
 これに対し、カルトではそこでの活動が生活のすべてを占め、その組織だけで世界が閉じている
真の目的はカネ集め権力の獲得だが、そのことはメンバーには隠され、代わりに「平和」だとか「」、「健康」などといった耳障りのよいキャッチフレーズでカムフラージュする。
内部批判は分派は認められず、「非同調」はすなわち「裏切り」とみなされる。
一度、足を突っ込んでしまうと、脱退は極めて困難である。
【信仰とカルト的狂信の違い】
 信仰においては、個人の自由意思選択が認められ、内部において質問批判が容認されている
また、他の宗教に対しても寛容さがあり、特定の生きた人物が、神のように崇拝されることはない
 これに対して、カルト的狂信では、そのグループが絶対的な真理を持っているとみなされ、質問や批判は拒絶される
メンバーの信仰心が薄れていくとせられ、グループ内のによってのみ行動を取らされる。
それが仮に社会規範や法律に反していても、省みられることはない。
他の信仰は「邪悪」と切り捨てられ、個々のメンバーの信仰心はグループの利益のためにのみ利用する。
リーダーを崇拝する。
【通常のグループのリーダーとカルトのリーダーとの違い】
 通常のグループにおけるリーダーは、その選出過程で民主的な手続きが踏まれ、あくまでグループ内における一つの役割として機能する。
また、メンバーは同時に他のグループの活動に参加することができ、そこではそのリーダーに対する忠誠も容認される。
 これに対し、カルトのリーダーは、グループの全機能を一人で引き受け、その優越性、絶対性を誇る。
リーダーに対する忠誠にリミットはない。
リーダーへの忠誠がすべてを正当化し、そのためには組織内の懲罰弾劾も正当化される。
上記3つのポイントをみても、エホバの証人がカルトであることは明らかです。
他のカルトとの違いといえば、特定のリーダーの代わりに「統治体」というグループが絶対的な権威を握っている、という点でしょうか。