神戸JW研究会 - 新約聖書と神のみ名

今日、勉強した内容です。
以下はいずれも、ものみの塔協会の出版物からの引用です。


「聖書から論じる」 P.267-268 「聖書」の項
聖書の内容が変わっていないということをどうして確信できますか
「記述の正確さを立証する古代写本の数,また原本が書かれてからそれら正確さを立証している写本が作られるまでに経過した年数という点で,聖書は古典文書[ホメロス,プラトンその他の人々の著作]を決定的に凌駕している。……聖書の場合と比べると,総じて,古典文書の写本はごくわずかである。古代の文書で,聖書ほど写本上の正確さが立証されているものはない」―「聖書―そのはじまりから」(ニューヨーク,1929年),P・マリオン・シムズ,74,76ページ,英文。
1971年に発表された,ある報告によれば,ヘブライ語聖書の全部,もしくは一部の手書き写本は多分,6,000点ほどあり,そのうち最古の写本の年代は西暦前3世紀までさかのぼります。クリスチャン・ギリシャ語聖書について言えば,ギリシャ語の写本はおよそ5,000点ほどあって,その中の最古の写本の年代は西暦2世紀初頭にまでさかのぼります。また,ほかの言語に翻訳された初期の訳本も多数あります。
フレデリック・ケニヨン卿は,自分の編さんした,「チェスター・ビーティー聖書パピルス写本」,全7巻の序文に次のように書きました。「これら[パピルス写本]の調査から得られた最初の,かつ最も重要な結論は,現存する本文が基本的に確実なものであることをそれらが確証しているという,満足のゆくものである。旧約および新約のいずれにおいても,衝撃的もしくは根本的な異読は認められない。重要な意味を持つ語句の削除や挿入はなく,大切な事実や教理に影響を及ぼす異読もない。本文の異読は,語順や細かな言葉遣いといった小さな点に影響を及ぼしている。……しかし,それらの持つ基本的に重要な価値は,これまで利用できた写本よりそれらが古いという事実によって,現存する本文の忠実性を確証していることにある」―(ロンドン,1933年),15ページ。
一部の聖書翻訳が,他のものより,原語で書かれた本文に,より厳密に従っているのは事実です。意訳を中心とする現代の聖書は,時によると原文の意味を変えることさえ行なってきました。中には,自分の信条を訳文に反映させた翻訳者もいました。しかし,このような好ましくない点は様々な聖書翻訳を比較することによって識別できます


「神のみ名」のブロシュアー P.26,27より

み名を復元すべきか

現存する写本にみ名が含まれていないという事実を考慮すると,翻訳者にはみ名を復元する権利があると言えるでしょうか。そうする権利があると言えます。ほとんどのギリシャ語辞典は,聖書中の「主」という語が多くの場合にエホバを指すことを認めています。例えば,ロビンソンの新約聖書希英辞典(A?Greek?and?English?Lexicon?of?the?New?Testament,1859年に印刷)はギリシャ語キュリオス(「主」)の項のもとでその意味を次のように説明しています。「至上者なる主また宇宙の主権者としての神。セプトゥアギンタ[訳]では普通,ヘブライ語????,エホバを表わす」。ですから,クリスチャン・ギリシャ語聖書の筆者たちがそれ以前のヘブライ語聖書から引用している箇所では,ヘブライ語原文に神のみ名の出ている部分のキュリオスという語を「エホバ」と訳す権利が翻訳者にはあります
 (中略)
正当な権威のもとに神のみ名を大胆に復元している翻訳の一つはクリスチャン・ギリシャ語聖書新世界訳です。日本語を初め,現代の11の言語で現在入手できるこの訳は,ヘブライ語聖書中の神のみ名を含む句がギリシャ語聖書に引用されているすべての箇所で神のみ名を復元しています。ギリシャ語聖書のこの翻訳では,確かな根拠に基づいて合計237回み名が出てきます。

み名に対する反対

聖書中に神のみ名を復元しようとする多くの翻訳者の努力にもかかわらず,み名を消し去ろうとする宗教的圧力も常に存在してきました。ユダヤ人は,み名を聖書にとどめてはいましたが,それを発音しようとしませんでした。西暦二,三世紀の背教したクリスチャンたちは,ギリシャ語聖書の写本の写しを作る際にみ名を取り除き,聖書の翻訳を行なった時にもみ名を省いてしまいました。


さて。
「聖書の内容が変わっていないこと」は、エホバの証人の聖書研究においても初期の段階で学びますよね。
「論じる」の本によれば、新約聖書は現存する5000点ほどの写本(最古のものは西暦2世紀初頭、つまり新約聖書が書き終えられた数十年後にさかのぼる)によって本文の忠実性が確証されている、とあります。
フレデリック・ケニヨン卿の言葉が引用されていますが、「重要な意味を持つ語句の削除や挿入はない」とあります。
ところが、「み名」のブロシュアーによれば「西暦2、3世紀の背教したクリスチャンたちが写本の写しからみ名を取り除いた」とあります。
「論じる」の記述と矛盾しますよね。「神のみ名」という「重要な意味を持つ語句の削除」はあったのでしょうか、なかったのでしょうか。
そもそも、「み名が取り除かれた」との記述は、その直前と比較しても矛盾しています。
現存する写本にみ名が含まれていないという事実」を認めているのです。
では、み名はどこから取り除かれたのでしょうか。いいえ、最初からみ名は含まれていないのです。
「み名」のブロシュアーでは、「キュリオスという語を「エホバ」と訳す権利が翻訳者にはあります」と主張していますが、その根拠は何でしょうか。
その権利の裏付けとして引用されているのが、19世紀後半に書かれた希英辞典です。
しかし、み名という「重要な意味を持つ語句の挿入」を認める権威を、写本の比較によってではなく、後世の人間が書いた辞典に求めるのはおかしくないでしょうか?
もともと、み名が含まれていない新約聖書に「エホバ」という語句を237回も挿入するのは、「論じる」にあるとおり「自分の信条を訳文に反映」させていることにならないでしょうか。
実際、様々な聖書翻訳を比較するなら、「エホバ」という語句を挿入している点で新世界訳聖書は「好ましくない点」があることが明らかになっています。
ということは、以下の聖句は新世界訳の翻訳者たちに当てはまるのではないでしょうか。
「わたしは,すべてこの巻き物の預言の言葉を聞く者に証しする。これらのことに付け加える者がいれば,神はこの巻き物に書かれている災厄をその者に加えるであろう。」-啓示22:18。
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エホバの証人の出版物を比較してみると矛盾が出てくる、という一例ですね。
しかも、意図的に「エホバ」を付け足していることが明らかになることによって、「エホバの証人こそが聖書に忠実である」という主張が崩れてきますね。