派遣村

香山リカのココロの万華鏡:「年越し派遣村」の教訓
http://mainichi.jp/life/today/news/20090114ddlk13070748000c.html

突然の「派遣切り」にあい、住まいまで失ってしまった人の多くは、自尊心がズタズタに傷つき、「ファイトや根性」で奮い立つエネルギーも失ってしまっている、ということだ。
 派遣村に集まった人たちのインタビューを聞いていると、もしかするとすでにうつ病の状態になっているのでは、と思われる人も何人かいた。
 こうなってしまうと、たとえ目の前で働き口の情報を見せても、「やります」と手をあげることさえできないだろう。
 派遣村は、「私なんて生きていても価値がない」というところまで自己肯定感を失った労働者に「こうなっているのはあなたのせいではない」「困難に直面しているのはあなただけではない」と伝え、彼らに傷ついた心の羽をとりあえず休める居場所を提供する、という大きな役割を果たしたのだ。
 「私にもまだできることがあるんだ」と最低限の自信を回復して、はじめて「ファイトや根性」を持つこともできるようになるのだ。
 まず、最低限の生活と医療、そして人とのつながりが保証されなければ、立ち上がろうという気力、職探しの気力も失われてしまう。

僕が教会に足を運ぶようになったのも、似たような理由です。
これまで書いてきたとおり、病に倒れ、職を失い、模範的JWとしてのプライドも将来像も失いました。
うつは長い長いトンネルのようで、いつまでたっても抜け出せないんじゃないだろうかと不安を抱えていました。
それに加えて、家庭は崩壊し、多額の負債を背負い、あまりにも多くのストレスがかかりました。
なんとか自分を奮い立たせようとしても、自分の中のエネルギーが底をついてしまい、他からエネルギーを分けてもらわないとやっていけない状態でした。
組織宗教に対する不信感はもちろんありますが、誰かに話を聞いてほしい、そばにいてほしい、一緒に聖書を開き、励ましのことばをかけてほしい、という気持ちに駆られました。
教会に行き、牧師さんと話をし、久しく感じていなかった心の安らぎが得られました。
神は、これまでの自分の歩みを見守っていてくださり、ちゃんと導いてくださっていたんだ、決して僕をお見捨てにはならなかったんだ、僕に対しても恵みを注いでくださっていたんだ、という確信を新たにすることができました。
エホバの証人から離れた人の中には、自尊心を保ち、自分の哲学と倫理観を確立し、宗教に頼る必要を感じない人ももちろんいると思います。
でも、中には僕と同じように、心細さを感じていたり、不安を抱いている人もいると思うんです。
そんな人はぜひ、いちど教会に行ってみることをお勧めします。
中には、あまり話を聞いてくれなさそうな牧師さんもいるかもしれません。それなら別の教会に行けばいいんです。
どの教会に行かなければいけないなんてありません。
どの教会にも、神と聖書を信じ、神の恵みに感謝している仲間たちがいます。
きっと神がふさわしいところに導いてくださるはずです。

セーフティーネット

こんな記事がありました。
若年層の就職難は自己責任でなく構造問題、セーフティネットの充実を(東洋経済)
http://www.toyokeizai.net/business/society/detail/AC/787861d32cdfffd8104fec92afbf6f24/
 多くの若者は、日々の生活を送ることで精いっぱいになっている。食事や住まいを確保するため、日雇いでも働くしかない。そこには一度非正規労働を始めると、なかなか抜け出せない、日本の若者の現実がある。ジョブカフェなどの行政サービスがあっても、日々の暮らしが成立しなければ、受けることはできない。
 いま日本の若者政策に求められるのは、セーフティネットを含めた総合的な政策の見直しにある。
上記のとおりだと、自分の経験からも痛感します。
僕がうつになって倒れたとき、次の仕事を見つけてからもしばらくは、日々の暮らしに困窮する状態でした。
そのためにどうしたかというと、結局は消費者金融に手を出さざるを得なかったのです。
ひとり暮らしをしている間、借金はまたたく間にふくれあがっていきました。
父が「返済に専念するため、実家に戻っておいで」と諭してくれ、実家に戻りました。
ところが、まもなく両親が離婚してしまい、ふたたび借金生活に戻ってしまいます。
返済に専念できなくなり、家計費を助けるため、さらに借金をせざるを得ない状況になってしまいました。
こうして、借金の総額は400万円近くにもなりました。
そのころまでに、正社員として定職に就けるめどが立ち、毎月の収入をある程度期待できるようになっていたため、特定調停の申請をしました。
雪だるま式にふくれあがる負債のスパイラルからはやっと抜け出せましたが、その後3年間は返済に専念しなければならず、相変わらず厳しい生活でした。
じつは、特定調停の申請をしたのが、今からちょうど5年前なんです。
ようやくブラックリスト掲載期間(5年間)が終わったところです。
JW2世が自立していくためにも、ぜひセーフティーネットが整備されていくことを願うばかりです。

自然消滅に至る思い

自然消滅に至るまでに、自分の中で抱くようになったいくつかの思いがあります。
ひとつは、これまでの記事に書いていたように、思春期以降になって感じた、エホバの証人の数々の制限に対する反発でした。
組織からの数々の指示は、聖書の教えを越えており、まるでパリサイ人のように信者を制限で縛り付けていると感じるようになりました。
もうひとつは、開拓者になってから特に強く感じるようになったのですが、伝道についてでした。
ただ時間を稼ぐための奉仕に、むなしさを感じていました。
神に喜ばれる奉仕とは、時間の長さではなく、むしろ中身のはずだと思いました。
それは、何時間という目標を達成することによって得られるものではなく、自分の内心の確信や平安や喜びを、自分の言葉や振る舞いで伝えるもののはずだと思いました。
つまり、日常生活の中で隣人や友人と接しているときのほうが、真の「証し」のチャンスは多いはずだと思いました。
もちろん、それは普段接する人に対して四六時中、聖書の教えを説いて回るというのではなく、あくまでも自分のクリスチャンとしての振る舞いによって、神からの恵み、真理によって得られた自由や希望、喜びを体現することだと思いました。
家の人の立場になって「どうすれば真理を受け入れやすいか」というアプローチを取ることなく、ただ自分たちの都合だけで漫然と区域を回っていても、どれだけの意味があるのだろうと思いました。
むしろ、自分たちが今やっていることは自己満足のための「修行」なのではないだろうか、「業」によって信仰を立証しようとしているのではないだろうか、それを神はほんとうに喜ばれるのだろうか、と思いました。
そういった思いを抱いているうちに、組織内の対立に直面したり、自分がうつになって「エリート2世街道」から逸れたのをきっかけに、不活発になっていった、というかんじでしょうか・・・