自然消滅に至る思い

自然消滅に至るまでに、自分の中で抱くようになったいくつかの思いがあります。
ひとつは、これまでの記事に書いていたように、思春期以降になって感じた、エホバの証人の数々の制限に対する反発でした。
組織からの数々の指示は、聖書の教えを越えており、まるでパリサイ人のように信者を制限で縛り付けていると感じるようになりました。
もうひとつは、開拓者になってから特に強く感じるようになったのですが、伝道についてでした。
ただ時間を稼ぐための奉仕に、むなしさを感じていました。
神に喜ばれる奉仕とは、時間の長さではなく、むしろ中身のはずだと思いました。
それは、何時間という目標を達成することによって得られるものではなく、自分の内心の確信や平安や喜びを、自分の言葉や振る舞いで伝えるもののはずだと思いました。
つまり、日常生活の中で隣人や友人と接しているときのほうが、真の「証し」のチャンスは多いはずだと思いました。
もちろん、それは普段接する人に対して四六時中、聖書の教えを説いて回るというのではなく、あくまでも自分のクリスチャンとしての振る舞いによって、神からの恵み、真理によって得られた自由や希望、喜びを体現することだと思いました。
家の人の立場になって「どうすれば真理を受け入れやすいか」というアプローチを取ることなく、ただ自分たちの都合だけで漫然と区域を回っていても、どれだけの意味があるのだろうと思いました。
むしろ、自分たちが今やっていることは自己満足のための「修行」なのではないだろうか、「業」によって信仰を立証しようとしているのではないだろうか、それを神はほんとうに喜ばれるのだろうか、と思いました。
そういった思いを抱いているうちに、組織内の対立に直面したり、自分がうつになって「エリート2世街道」から逸れたのをきっかけに、不活発になっていった、というかんじでしょうか・・・