僕のJW歴 (7)

既にこの頃には完全な不活発者になっていたので、もはやJW歴とは呼べなくなってきているのですが・・・(^^;
2年ほど大阪勤務していたのですが、途中で合弁会社に転籍させられたり、合弁が解消になったりしたあげく、結局は会社を辞めざるを得なくなりました。
そのころには実家に戻っていたので、実家から近い会社を探したところ、たまたま高校時代の同級生が働いている会社が求人を出していたので、そこに入りました。
同級生はカッティングの仕事をしていて、当初はその仕事を手伝っていたのですが、途中から総務・経理部門のほうを手伝ってほしいといわれ、異動しました。おまけに、若干25歳にして主任にしてもらいました。
従業員百数十人の給与計算から資金移動、銀行・職安・労基・社保事務所などを回っての手続きと、目が回るような忙しさでした。
ほんとうは淡々とルーチンワークをこなしていればよかったんでしょうけど、このころには仕事に没頭するようになり、朝から晩まで、時には泊まり込みで仕事するようになっていました。
そのうち、あまりの忙しさと仕事の重圧に、精神・身体共に限界が来てしまいました。
そんなころ、大阪の会社の元上司から年賀状が届きました。
「今の職場でこのまま事務仕事を続けていくより、IT企業に戻って、改めて経験を積みたい」と思い、元上司に連絡を取ったところ「ぜひ戻ってきてくれ」と言われ、大阪の会社に再入社しました。
こんどは「残業もします」と宣言しました。(^^:
こうして、IT企業の正社員としてようやく身を固めることができました。
さて、僕が大阪の会社に出戻る直前、過労でフラフラになっていたころ、父のほうもいよいよ限界に来ていたようで、ついにJWから断絶してしまいます。
もっと衝撃だったのは、母とも離婚し、家を出ていってしまったことです。
当時、僕のほかに二人、弟がいました。
僕は既に成人しており、上の弟も高校卒業目前だったとはいえ、下の弟はまだ小学校入学前だったので、父が家族を捨てて家を出て行くというのが、僕には全く理解できませんでした。
つい最近になって知ることになるのですが、離婚を切り出したのは今もJWである母だったらしいのです。
それで限界まで追い詰められてしまった父は、すべてを捨てざるを得ないと考えたらしいです。。。
とはいえ、父が出ていってしまったせいで、残された僕が母と弟の家計も支えることになってしまいました・・・