僕のJW歴 (6)

重荷になっていた父のもとを離れ、必要の大きな会衆でひとり暮らし。
希望にあふれていましたが、準備不足も否めませんでした。
仕事は、同じ会社の営業所が引越先にもあったので、引き続き新聞配達をすることに。
ただ、想定外だったのは、自転車に乗って配達するということでした。
それまではカブに乗って配ってましたから。
カブの力を借りれば、百数十部を荷台に積み上げても走れましたが、自転車ではとても無理・・・。
しかも、担当エリアが急な登り坂を含む地域で、一気に体力を消耗。
まもなく、朝がまったく起きれなくなってしまいました。
体力的にも精神的にも限界にきていたようです。
そのまま寝込んでしまい、一日中起きれなくなってしまいました。
母に連れられて精神科に受診し、軽症うつと診断されました。
職を失い、開拓も下りました。
思わぬ挫折に、目の前が真っ暗になった気分でした。。。
体力仕事に限界を感じ、手に職をつけなくてはと思いました。
再び会計事務所で働けないかと探しましたが、面接に落ちつづけました。
じつは、高校卒業後も簿記1級に何度か挑戦していたのですが、受からず、
結局2級どまりでした。
そこで発想を転換し、「せっかく2種を持ってるんだから、コンピュータ関係の仕事を
探そう」と思い立ちました。
職安で、近隣の公共機関でのPCサポートという仕事を見つけ、応募しました。
面接を受けに行ったのは、大阪・梅田の本社でした。
無事採用が決まったのですが、その後まもなく思わぬ連絡が来ました。
「公共機関の仕事、入札に落ちちゃったから、なくなっちゃった」
そんなのあり!?呆然となりました・・・。
そのまま自宅待機させられることになってしまい、どうしようと途方に暮れていましたが、
数日後、再び連絡が来て「梅田の本社で働かないか」と言われました。
京都の自宅から1時間近くの通勤時間でしたが、せっかく仕事が見つかったからと、
梅田へ通いはじめました。
結局、そのまま2年近く、梅田まで通いつづけることになるのですが・・・。
ちなみに、面接のとき、自分がエホバの証人であること、集会のある日は残業できないことを
伝えていました。
(そのおかげで、なかなか仕事が回ってこなかったことに、後に気づくわけですが)
ただ、うつのせいで朝起きて会社に向かうのも一苦労という状態で、集会に交わることに
苦痛を感じるようになります。
必要の大きな会衆で、本来は自分が会衆に仕えなければいけないのに、いまや自分が
「必要の大きな人」になってしまったわけですから・・・。
結局、実家に戻ってきましたが、また驚きの展開が。
僕の家族が、いつのまにか隣の会衆に移っていたのです。
僕がまだ実家にいた当時に、分会(会衆の分割)があったのですが、片方の区域には
長老がひとりも住んでおらず、父もベテラン長老も、ふたりとも越境していたのです。
ところが、前の記事に書いていたとおり、父がベテラン長老と深刻な対立をしてしまい、
「越境を解消して地元に戻る!」と言い出したのです。
ということで、僕の家族は地元の会衆(僕にとっては、元いた会衆の隣の会衆)に
交わることになりました。
会衆を移る際、長老職が自動的に付いて回るわけではありません。
元いた会衆の長老団からの推薦状が必要なのです。
ところが、ベテラン長老はどうもその推薦状を書かなかったらしく、父は地元の会衆で
長老ではなく、ただの一兄弟になってしまいました。
このころから、父は組織に対する不信感を深め、集会にも行かなくなってしまいます。
一方、僕はうつで他人と接触するのに疲れ、しかも慣れ親しんでいた元いた会衆ではなく
地元とはいえ、あまり面識ない人ばかりの会衆に交わることになり、集会への足が
遠のいていきます。
(父のこともあったのですが、当時の僕は自分のことで精一杯で、父のことをあまり深く
考えるだけの気力はありませんでした・・・)